曽野綾子氏「土人」発言について 「土人」は差別とはいえない
すべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。「沖縄の土人」というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる。
私はカトリックの作家 曽野綾子先生を心から尊敬しています。
曽野綾子先生は、海外邦人宣教者活動援助後援会の代表として
40年間も、アジア・アフリカ・南米諸国の貧困や紛争の地域で
カトリック神父・修道女の方を介して辺境地域へ物資や資金を
提供する活動を続けられました。
アジア・アフリカ・南米諸国に神父様やシスターが貧しい人々や
子供たちとともに暮らし、救援活動を続けられています。
中には、若くして現地で亡くなったシスターもおられます。
そんな神父やシスターを毎年、アフリカの奥地まで、自費で訪問され、物資を運び尽くしてこられたのが曽野綾子先生です
作家としての収入の多くを海外の貧困の救済に捧げられています。
本当に厳しい状況の国、ほんとうの貧困を知る曽野綾子先生は
日本の若者がやれ「貧困だ」「人権侵害だ」「差別だ」などと
騒いでいる様子を、甘えていると断罪されます。
ネットや新聞、マスコミなどは、曽野綾子先生の偉大な
40年もの救援活動は一切、報道せず、差別主義だなどと批判します
それこそ偏向報道です。
真の人権平和のために活動する
マザーテレサの事も批判する人がいますが
曽野綾子先生の事も、印象操作で、本当の活動や人生の軌跡を
報道せず、知らせず、右派だとか、差別発言だとか
批判する人がいます。 下記の記事を書いている人もそうです。
果たして批判する人は、曽野綾子先生が40年間してきたことと
同じくらいのことができるのでしょうか。
本当に苦しむ人の真実を知るからこそ、厳しく甘えた人間には
愛のムチの言葉も投げかけられるのです。気づきのために
カトリックを称して、沖縄反基地運動などに参加している
カトリック正義と平和協議会や 左派神父や左派シスターは
曽野綾子先生のような真の人権平和のための活動を見習う
べきです。
左派のいう「人権」「平和」「傷ついた」だの「差別されてる」
だの「貧困」だの「保育所落ちた日本死ね」「女性差別だ」
「セクハラだ」などというのは エセだと思う
世界の苦しむ人々、北朝鮮の強制収容所の人々
中国が迫害するウイグル・南モンゴル・チベットの人々の苦しみ
アフリカや中南米、アジアの 本当の貧困の中にいる人々
学校にさえいけない子供たち に思いをはせることはない。
ただ自分が、自分が、日本が・・・・と
この豊かで平和な日本で何を言っているのか
確かに平和な日本でもまだまだ苦しむひともいる。
日の丸行進の会の 石黒大圓先生は、
日々、大阪の浮浪者の救済、炊き出しや寝袋、衣料、食料配りを
自費でされている 素晴らしいことです。
左派は、人権・平和・差別をいいながら、反基地運動で
暴力ふるってるひまがあったら
曽野綾子先生やマザーテレサや石黒大圓さんのような
活動をすればいいのにと思う。
私にはとても真似ができないです。 尊敬しています。
この記事で曽野綾子先生の批判をしてる人はバカだと思う。
きっとこの記者は、曽野綾子先生の100万分の1も
苦しむ人のための救済などしてもいないでしょうね。
↓
http://blogos.com/article/198715/
なぜ曽野綾子氏は「土人」発言を擁護するのか
2016/11/18 ブログ
「土人」は褒め言葉か
11月16日付の産経新聞で、作家の曽野綾子氏が大阪府警機動隊員の「土人」発言について、次のように述べています。
私は東京の八丁堀生まれの父の娘である。私は父のことを「東京土人」とか、「東京原住民」とかよく書いている。私を含めてすべての人は、どこかの土人、原住民なのだが、それでどこが悪いのだろう。「沖縄の土人」というのは、蔑称だと思う蓮舫氏の方こそ、差別感の持ち主だと思われる。(中略)
土人も原住民も、それなりに自然な郷土愛や文化への自負を持っている。ましてや沖縄ほどの、料理にも焼き物にも染色にも、個性豊かな文化を持っている土地ならなおさらだ。父が生まれた土地の「土人」だと言われたら、「人の言うことなんざ、気にすることはないよ」と笑うだろう。
つまり、「土人」とは、ある土地の出身者という意味にすぎないのだから、差別語ではないということのようです。また、「土人」はその土地や文化に対する自負を持っていると言っていることから考えると、曽野氏にとっては、「土人」は差別語どころかむしろ褒め言葉ということになるようです。
しかし、この議論は完全に間違っています。まさか曽野氏は、大阪府警の機動隊員が「あなたは沖縄出身ですね」という意味で「土人」という言葉を使ったとでも思っているのでしょうか。あるいは、「あなたは素晴らしい自然や文化のある土地の出身ですね」という意味で「土人」という言葉を使ったと思っているのでしょうか。
作家として致命的
「土人」は間違いなく差別語です。それは「土人」という言葉の歴史を振り返れば明らかです。『最新 差別語・不快語』(にんげん出版)では「土人」について、次のように解説されています。
大和民族の社会において、「土人」は古い時代から、「土地の人々」「現地の人々」という意味で、異民族・外国人に対する蔑称は「夷人」でした。アイヌ民族が「夷人」と呼ばれたのも、また幕末の外国人打ちはらいが「攘夷運動」と呼ばれたのも、そのためです。ところが、1855年の日露和親条約で、日本政府は、アイヌ民族をほんらいの日本国民とし、アイヌ民族の居住地域を日本の領土だと主張するようになります。この論理からいえば、アイヌ民族を「夷人」と呼称しつづけることは、領土権をみずから放棄することになります。そこで、日本政府は、アイヌ民族の呼称を「土人」に切り替えたのです。これが、その後アイヌ民族が、「土人」「旧土人」と呼ばれる原因にもなります。
そして、この切り替えによって、「土人」という言葉の実体的な意味が「土地の人々」から「未開で野蛮な異民族」にすり替えられることになります。日本の植民地主義や侵略戦争が展開するなか、とくに、アイヌ民族に使われたことから、先住民族への蔑称として使われるようになりました。明治時代の初期には、琉球人に対して「土人」という呼称が使われ、また日本が委任統治領とした南洋群島などでも「土人」という呼称が使われました。1997年に「北海道旧土人保護法」が廃止されるまで、「土人」という差別語は、行政用語としても定着していたといえます。
言葉には文脈や歴史というものがあります。曽野氏のようにそこから切り離した議論をしても意味がありません。そのようなことさえ理解できないのは、作家として致命的と言わざるを得ません。
もっとも、曽野氏の差別擁護は今に始まったことではありません。彼女はいわゆる被差別部落や沖縄に対しても差別発言を繰り返しています。次回はこの問題について取り上げたいと思います。(YN)