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京都にて シベリヤ抑留 荒木正則先生の講演 山口采希さんと山村ゲンコウさんの歌

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京都にて シベリヤ抑留 荒木正則先生の講演 山口采希さんと山村ゲンコウさんの歌
京都にて シベリヤ抑留 荒木正則先生の講演 
山口采希さんと山村ゲンコウさんの歌


昨日は、京都霊山護国神社 清掃奉仕の会の 山中浩市様 主催

元陸軍軍曹でシベリア抑留経験者の荒木正則様のお話を聞く会に
参加させて頂きました。

荒木正則先生は、以前、陸上自衛隊の方々にもご講話を
され、陸上自衛隊第36普通科連隊長からの感謝状を贈呈されて
おられます。

シベリア抑留者の資料について、舞鶴市が世界記憶遺産に申請して
います。 戦後70年の今こそ、シベリヤ抑留の事をもっともっと
多くの方が知っていただける機会になればいいと思っています。

荒木正則先生の作成された、シベリヤ抑留についてのビデオ、
涙なしには見られないシーンも多く、会場ですすり泣きされる
女性もおられました。

今回は、小学生の子供さんや高校生くらいの生徒さんもおられ
若い方が多く、若い外国人の方もおられました。
若い方に伝えたいという荒木正則先生、喜んでおられました。

私は、荒木正則先生のお話

■850名が肉弾特攻、750名散華 「磨刀石の戦い」

戦車に手榴弾や弾薬を身体にまきつけ、走ってキャタピラーの
部分に体当たりしていく特攻

永遠の0(えいえんのゼロ)の映画や数々のドラマなどでも
有名な海軍の 飛行機の特攻隊の話は多くとりあげられ
知らない人はいないと思いますが、

この陸軍特攻の話はなぜか、マスコミや映画、ドラマなどで
取り上げられることがありません。

自分の足で、走って戦車に体当たりする
どれほどの精神力でしょうか

それを上官などは、黙ってみているのです。

850名のうち 750名の若者が陸軍特攻したのです。
これは忘れてはいけない事実です。

また戦闘中、敵の戦車に飛び乗り、敵の戦車を奪い、
くるりと向きを変えて、敵を撃った勇者のお話もされました。

シベリヤ抑留は、地獄です。

極寒の中で、寒さ、餓え、強制労
体力、精神力、気力の弱いものから次々と死んでいく

荒木正則先生は、本当に子供が可愛いと思うなら、
子供を強く、鍛える教育をしなければならないんだと言って
おられました。 有事の時、そして人生において、何かあった時
まさに弱肉強食、強くなければ生き残っていけないのです。

最近は、危ない事はさせない、怪我が心配、裁判沙汰が恐いと、児童公園で遊具が撤去されたり、ボール遊びの禁止、

また学校教育でも、運動会での激しい競技は同様の理由と競争が
いけないとかでなくなっています。
棒倒し、競争、最近では、組体操やドッジボール、水泳、柔道
まで問題視されています。 もちろん学校事故や熱中症で亡くなる子供の事は留意は必要ですが

人権、子供の権利、自由、悪平等がはびこり、
喧嘩もさせない、鍛えることもさせない、
子供の精神力、体力、忍耐力、苦しい事への我慢の力を強くする教育が
失われていくことに懸念の思いです。

たとえ戦争でなくても、社会に出て仕事をするうえでも
子育てする上でも、強くある事は必要な事です。

荒木先生のお話を聞いて一層、その思いを感じました。

また、荒木先生は、シベリヤ抑留は、いったい何のために
行われたのか

昭和20年2月のヤルタ会談の秘密協定、アメリカの
フランクリン・ルーズベルト、イギリスのチャーチル、
ソ連のスターリンとの会談ですが スターリンの北方領土や樺太、
満州の権益などの要求に対して、対日参戦を促したこの会談の密約
こそが、元凶であり

ドイツが無条件降伏した1945年5月8日の約3ヵ月後の8月9日、
協定に従ってソ連は日本に宣戦布告し満州に侵入、
千島列島等を占領

ソ連参戦の翌日(1945年8月10日)に日本がポツダム宣言受諾を
連合国側に通告したため、戦争末期(9月2日の降伏文書調印まで)
のきわめて短期間のソ連の戦果に対して
日本の領土を与えるという、結果としてソ連に有利な内容になった
のですが

8月16日にスターリンは、ヤルタ協定で約束されていた
千島列島・南樺太の占領のみならず、
日本敗戦直後に米大統領ハリー・S・トルーマンに連絡し、
北海道の分割占領(留萌町(当時)から釧路市を結ぶ線の北東側と
両市町を占領)を申し入れた。

理由は、「日本によるシベリア出兵によってソ連は占領されたため、
ソ連も日本の領土を占領しなければ、国民の怒りが収まらない」と
いうものであった。しかし、トルーマンはこれを一蹴した返書を8月18日に送った。

スターリンは8月16日には日本人を捕虜として用いないという命令を
内務人民委員ラヴレンチー・ベリヤに下していたが、8月23日にはこれを翻し、「国家防衛委員会決定 No.9898」に基づき、
日本軍捕虜50万人のソ連内の捕虜収容所へ移送し、
強制労働を行わせる命令を下した

「北海道の代償として捕虜をシベリアに送った」という説を

荒木正則先生が主張されているのはこのような経緯があるからです。
シベリヤ抑留は50万人と定められていたのです。

また、なぜ、シベリヤ抑留は「捕虜」でなく「抑留者」と
呼ばれるのか

捕虜に対しては、賃金が支払われるのに対し
抑留者には、日本政府は賃金の支払いをしておらず、
また軍人としての年金、恩給の期間の対象外になっているなど

日本政府のシベリヤ抑留者への扱いは、不遇なものであるといえます

国際法上、捕虜として抑留された国で働いた賃金と、捕虜の
給養費は捕虜所属国の負担となっており、
この慣習はハーグ陸戦条約などで確認されているが、
日本政府はハーグ会議でもこの規定採用に反対していた

この規定に基づき、捕虜は帰国時に証明書を持ち帰れば、
国から賃金を受け取ることができた。

日本政府は、南方地域で米英の捕虜になった日本兵に対しては、
個人計算カード(労働証明書)に基き賃金を支払った。
しかし、ソ連は抑留者に労働証明書を発行せず、
日本政府は賃金や給養費の所属国負担が慣習として定着していないと
主張していたため、賃金は支払われなかった。

1992年12月以後、ロシア政府は旧抑留者の申請に対して
労働証明書を発行するようになり、1994年からは正式に
日本政府に送付するようになった。未払い賃金については
複数の訴訟が行われているが、日本政府は未だに賃金支払を
行っていない。


シベリヤ抑留者に対して、歴代の首相、政治家が
触れない、

南方、硫黄島、ペリリュー島などの戦いについては
とりあげられる事は多いが、こと満州、北方の戦い
シベリヤ抑留については、語られることが少ない

遺骨収集も、遺族を慰めるためが目的であり

日本のために戦った軍人への尊敬と感謝の念が足りない


シベリヤ抑留の悲劇に対し、戦争体験、悲惨な部分とともに
この大きな問題の数々を知る必要があると思います。


90歳にして、今もなお、熱いパワーあふれる荒木正則先生の
軍人魂、大和魂、強さに触れ、私は感動いたしました。

戦後70年、もっともっと荒木正則先生のお話を多くの日本人が
知っていただく事が必要だと思います。
本日の貴重な会を開催された主催者、参加者の皆様に敬意を表します

懇親会には、日本を愛し、日本のまごころを歌い、
拉致問題の事も歌われる、歌手の
山口采希(あやき)さんと
山村ゲンコウさんが、歌で盛り上げて下さいました。

山口采希(あやき)さんと山村ゲンコウさんが来られるとは
存じ上げなかったので、感激でした。

数々の日本の兵隊さんを称える歌、笑顔で美しい歌声に魅了されました。荒木正則先生もご一緒に海ゆかばを歌われ、手をつないで
並んで歌われるお姿、素晴らしかったです。

荒木正則先生のような軍人、日本を愛する思いを
しっかりと若い山口あやきさんが、受け止めて、そして今
各地で、歌で若い人々に日本の素晴らしさを伝えていく

これが真の愛と平和、日本のためであると思います。

山村ゲンコウ様とも、お話させていただき
本当に感激で嬉しかったです。

これからも 日本のために 日本の子供たちの未来のために
山口采希(あやき)さんと山村ゲンコウさん
そして
荒木正則先生が、多くの方々に思いをお伝えお働きいただきたいと
思いました。

懇親会では美味しいワインを飲んで嬉しく

参加者の皆様方とお話させて頂きましたが、テーブルは
50代の方々が多く
凛として若々しくそして、日本の大和男子の方々にお会いできて
嬉しゅうございました。 日本会議に参加されておられる方が
多かったです。

京都で、素晴らしい会に参加できて感謝でいっぱいの一日でした。

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