フランシスコ教皇 世界平和/ 拉致問題と奴隷/北朝鮮で苦しむ人のために祈ろう/
下記は、カトリック、フランシスコ教皇様が、2015年1月1日の
世界平和の日に示されたメッセージです。
世界平和というと、戦争、武器、核兵器などに言及される方が
この世には多いのですが
教皇様が、真の世界平和のためにと、人道に対する最大の罪として
まさにこの現在、奴隷状態である人身売買や
テロ組織によって拉致・監禁された人々に対して救いをと
呼びかけておられます。
世界各地では、未成年の人身売買や イスラムのテロリストによる
カトリックの少女の拉致、中国共産党による臓器売買のための
拉致など恐ろしい事がいまだに続いています。
では我々、日本人が考える事は何か
もちろん世界のそのような奴隷状況にある人たちのためのの救いの
活動も必要です。
そして日本国内ではどうか
現在の日本において考える時、教皇様のいうような
世界各国で今も続いている
悲惨な人身売買や奴隷というような状況と比較しても
犯罪者による少女の拉致監禁などという特異な状況はあっても
日本の国内においては平和といえる状況であると思います。
しかし、日本人が、北朝鮮に拉致されている状況、
800人とも言われる拉致被害者や特定失踪者が存在すること
これは、今の日本において、最も深刻な非人道的な罪であり
北朝鮮において、拉致被害者は、
自由を奪われ、家族にも会えず、監禁され、指示に従わねば生きていけない状況であるのですから
まさに奴隷とされている状況だと思います
現代の日本で唯一の、最大の 平和に反する罪は、
現代の奴隷状況の 拉致被害者、特定失踪者に対して
無関心であることです。
マザーテレサは愛の反対は憎しみではなく
無関心であると おっしゃいました。
日本で「平和」を願う人、世界平和を主張する団体、組織などは
9条がどうとか、反安倍政権とか 自衛隊反対とか
過去の慰安婦がどうのこうのとか
そんな事を言ってる場合ではないのですよ
まさに、この現代社会の中で、最も悲惨で、最も苦しみ
最も非人道的、抑圧を強いられている
拉致被害者、特定失踪者の救出こそが、日本の平和を希求する人が
すべき事であり、
もし、この問題に無関心であるのであれば
差別がどうとか、人権がどうとか、平和がどうとか
言う団体や組織が、 真の平和を願っているというのは嘘です。
拉致問題、特定失踪者は、政治思想がどうとか、宗教がどうとか
関係なく、すべての日本人が真の平和のために
無関心であってはならない、一日も早く、救出のために
政府も自治体も、すべての国民が、助けるために尽くさなければ
ならない問題であり、日本の子供たちにそのような悲惨な事実を伝える教育も必要であると私は思います
各地の学校の中で長年「平和教育」が行われていますが、
この問題をとりあげないなら、本当の真の「平和教育」ではないし
平和教育を実践しているなどと言えないと思います。
平和のための活動をしているという団体や組織も
この問題を取り上げないなら、平和のために活動しているとは
言えないと思います
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2015年「世界平和の日」教皇メッセージ より
(2015年1月1日)
「もはや奴隷としてではなく、兄弟姉妹として」
過去と現代の奴隷制のさまざまな姿
3. はるか昔から、人間による人間の奴隷化がさまざまな社会で行われてきました。人類の歴史の中には、奴隷制が広く受け入れられ、法で定められた時代もあります。そうした法は、だれが自由の身分となり、だれが奴隷となるかを定めていただけでなく、自由な身分の者が自由を失ったり、取り戻したりする条件も規定していました。つまり、法そのものが、一部の人が他の人を思いのままに自分の所有物と考えることが可能であり、またそうすべきだと認めていたのです。まるで商品のように、奴隷を売り買いしたり、受け渡したりすることができました。
今日、人々の意識の向上により、奴隷制は人道に反する罪とみなされ形式上は世界中で廃止されました。奴隷として扱われない権利、強制労働を課されない権利は、国際法によって不可侵の権利としてすべての人に認められています。
しかし、国際社会があらゆる形の奴隷制を終わらせるために数々の条約を採択し、その問題に対するさまざまな政策を行っているにもかかわらず、何百万もの人々、子どもやあらゆる年代の男女が、現在でも自由を奪われ、奴隷のような状態で生きるよう強いられています。 わたしは、さまざまな分野で正規または非正規の労働を強いられている未成年を含む多くの労働者のことを考えます。彼らは、家庭内労働や、農業、工業、鉱業関係の労働に従事しています。労働条件が国際基準や最低水準に達しない国で働く場合もあれば、労働者の権利が法的に保護されていない国で違法に働く場合もあります。
わたしは、多くの移住者の生活状況にも思いを寄せます。彼らは、苦しい旅の中で、飢えに苦しみ、自由を奪われ、所持品を取られ、身体的・性的虐待を受けています。わたしは、その中でもとりわけ、恐怖と不安のうちに過酷な旅をして目的地にたどりついたのに、収容され、しばしば非人道的な扱いを受けている人々のことを考えます。また、さまざまな社会的、政治的、経済的理由から、人目を避けた生活を強いられている移住者に思いを寄せます。また、法に準ずるために、屈辱的な生活条件や労働条件を受け入れている移住者のことも考えます。とりわけ問題なのは、国の法律によって移住労働者が雇用者に構造的に依存する状況が生み出されたり、それが許されたりしている場合です。たとえば、法的な在住許可が労働契約に左右される場合です。そうです。わたしは「奴隷労働」について考えているのです。
わたしは、売春を強いられる人々、性奴隷とされる男女のことも考えます。彼らの多くは未成年者です。また、承諾する権利も、断る権利も認められず、強制的に結婚させられる女性、決められた結婚のために売られる女性、配偶者が死亡すればその親戚に嫁がされる女性に思いを寄せます。
わたしは、臓器売買のため、兵士にするため、物乞いをさせるため、麻薬製造取引のような違法行為のため、偽装された国際養子縁組のために取引や密売の対象にされている子どもや大人など、すべての人々のことも考えずにはいられません。
最後にわたしは、テロ組織によって拉致・監禁された人々、戦闘員として服従させられている人々、とりわけ性的な奴隷として酷使されている少女や女性のことを考えます。彼らの多くは行方不明になったり、何度も売り買いされたり、拷問されたり、からだを切断されたり、殺されたりしています。
奴隷状態をもたらすいくつかの根本要因
4. 過去と同様、現在においても、奴隷状態の根本には、人を物のように扱うことが許されるという人間の考えがあります。罪が人の心を堕落させ、創造主や隣人から遠ざけるとき、隣人は、もはや同じ尊厳をもつ人、人間性を共有する兄弟姉妹としてではなく、物として考えられてしまいます。神の似姿として神にかたどって造られた人間が、抑圧、裏切り、または身体的・心理的な拘束によって、自由を奪われ、売られ、他の人の所有物にされます。彼らは目的のための手段として扱われているのです。
他の人の人間性を否定するというこの根本的な要因のほかにも、現代の奴隷制の原因となる点があります。その中で、わたしはまず、貧困と低開発と疎外について考えます。特に、教育の機会に恵まれない場合や、雇用機会が乏しかったり、なかったりする場合のことを考えます。人身売買や奴隷状態の犠牲者は、多くの場合、極度の貧困から抜け出そうとしている人々です。彼らは、偽りの雇用約束にだまされて、人身売買を組織する犯罪ネットワークの手に落ちることも少なくありません。こうしたネットワークは、世界各国の若者を引きつけるために、最新のコミュニケーション手段を巧みに操っています。
奴隷状態のもう一つの要因は、もうけるためには何でもする人々による汚職です。奴隷労働と人身売買には、多くの場合、仲介する共謀者が必要です。たとえば、警察官、役人、民間団体や軍事機関などです。「こうした状況は、経済システムの中心が人間ではなく金銭であるときに起こります。そうです。神の姿をかたどって造られ、すべての被造物を治めるようゆだねられた人間は、あらゆる社会システムや経済システムの中心にいなければなりません。人間が物にとって代わるとき、価値の崩壊が起こります」
奴隷状態の要因として、さらに軍事紛争と暴力、犯罪、テロも挙げられます。売ったり、戦闘員にしたり、性的に搾取したりするために、多くの人々が連れ去られています。また、故郷も、家も、財産も、家族すらも捨て、すべてを捨てて移住することを強要される人もいます。彼らは、自分の尊厳やいのちを危険にさらしても、こうした悲惨な状況に代わるものを求めるよう追い込まれています。そして、彼らを貧困と腐敗とその悲惨な結末の餌食にするような悪循環に捕らわれてしまうのです。
奴隷状態をなくすために協力できること
5. 人身売買、違法な移住の取引、その他の世間に知られた奴隷状態や隠された奴隷状態のことを考えるとき、一般の人々が無関心であるという印象を受けることが珍しくありません。
残念ながら、それがほぼ現実です。しかしながら、修道会、特に女子修道会が何年もの間、犠牲者を支えるために人知れず大きな働きをしてきたことを、わたしは指摘したいと思います。それらの修道会は、時には暴力を受けるような極めて困難な状況の中で活動し、犠牲者を売買業者や搾取者に縛りつけている見えない鎖を断とうとしています。その鎖の輪は、犠牲者を搾取者に依存させる巧妙な心理的策略です。その中には、犠牲者やその近親者に対するゆすりや脅し、さらには身分証明書の没収や身体的暴力などの具体的な行動も含まれます。修道会の活動は主に三つの分野で行われています。犠牲者の救援、犠牲者の心理面でのリハビリと教育活動、そして、彼らが在住している国や母国の社会に再び溶け込めるようにすることです。
勇気と忍耐と根気を要するこの重大な活動は、全教会と社会からの敬意を受けるに値します。しかしそれだけでは、人間の搾取という悪しき行いを止めることはできません。三つの組織的な活動も必要です。それらは、予防措置、犠牲者の保護、そして加害者の法的な起訴です。また、犯罪組織はその目的達成のために世界的なネットワークを駆使しています。したがって、この状況を終わらせるためには、社会のさまざまな分野で、世界的に一致した努力も求められます。
国家は、移住、雇用、養子縁組、オフショア・ビジネス、奴隷労働による生産品の販売といった分野で、自国の法律が人間の尊厳を真に尊重したものになるよう保証しなければなりません。人間を中心とし、基本的人権を擁護し、人権侵害に対処できるような公正な法律が必要とされています。それらの法律は、犠牲者の社会復帰を後押しし、彼らの安全を保障し、汚職や刑罰免除を排除するための効果的な手だてを定めたものでなくてはなりません。社会における女性の役割も、とりわけ文化やソーシャル・コミュニケーションの分野での取り組みを通して認識されなければなりません。
国際機関は、補完性の原理に従いつつ、人身売買や違法な移住の取引を操る組織的犯罪の国際的ネットワークに立ち向かうための取り組みを整備するよう求められています。国内外の組織、市民団体、実業界など、さまざまなレベルで協力する必要があります。
企業には従業員に人間の尊厳を尊重した労働条件と適切な賃金を保障する義務があります。さらに、企業は隷属関係や人身売買が流通網に紛れ込まないよう監視しなければなりません。企業に社会的責任があるように、消費者にも社会的責任があります。すべての人は、「物を買うということがつねに道徳的な行為であって、単なる経済的行為ではない」ことを認識すべきです。
社会の市民団体には、人々の意識を高め、奴隷状態が存在する文化と闘い、根絶するのに必要なあらゆる措置を促す責務があります。
使徒座は近年、人身売買の犠牲者の苦しみの叫びと、彼らの自由への歩みに寄り添っている修道会の声に耳を傾けています。そして、こうした悲惨な状況を終わらせるために、さまざまな機関が協力し、連携するよう国際社会に繰り返し呼びかけています
数々の会議も開かれました。その目的は、人身売買への関心を高めることと、さまざまな活動者の間の協力を促進することです。活動者の中には、学会や国際機関の専門家、移住者の母国、経由国、受け入れ国の治安機関、犠牲者のために活動している教会団体の代表が含まれます。わたしは、こうした活動が今後も継続し、さらに充実するよう願っています。
奴隷状態や無関心のグローバル化ではなく兄弟愛のグローバル化
6. 教会は、「キリストの愛の真理の社会における宣言」として、人間についての真理から生じる愛のわざを行い続けます。教会には、回心への道をすべての人に示す責務があります。回心することによって、わたしたちは隣人に対する見方を変え、一人ひとりを人間家族の兄弟姉妹として認め、その人に本来備わっている尊厳を真理のうちに自由に認識できるようになります。このことはスーダンのダルフール出身の聖人、ジュゼッピーナ・バキータの生涯にはっきりと示されています。バキータは9才のときに奴隷商人にさらわれ、凶暴な主人に売られました。その後、数々の苦しい経験を経て、彼女は信仰によって「自由な神の子」となり、修道会に入会し、他の人々、とりわけもっとも小さくされた人々と無力な人々のために奉仕しました。20世紀への変わり目を生きたこの聖人は、奴隷状態の犠牲となっている多くの人々にとって、今日でも希望のあかしの模範です
彼女は、この「現代社会が身に受けた傷、キリストのからだの傷」に立ち向かうために尽力しているすべての人の働きを支えています。
これらの観点から、皆さんにお願いします。奴隷状況にある人に、それぞれの役割と責任に応じて兄弟愛のわざを行ってください。個人として、共同体として、自らに問いかけましょう。日常の中で、人身売買の犠牲者と思われる人と出会ったり、かかわったりしたとき、あるいは、人を搾取して生産したと思われる製品を選ぼうとしたとき、わたしたちは問題意識を抱くでしょうか。無関心や経済的理由から、または自分の日常の出来事にとらわれて、そのことに目を閉ざしてしまう人もいます。しかしその一方で、それに対して何かをしようと決意する人もいます。市民団体に参加しようと決意する人、あるいは、優しいことばをかけたり、あいさつしたり、微笑んだりといったささやかな日常のしぐさを通して役に立とうと決意する人です。それは大きな助けになります。まったくお金はかかりませんが、希望を与えることができます。扉を開くことができます。人目を避けて生きていた人の生活を変えることができます。そして、この現実に対するわたしたち自身の生き方を変えることもできるのです。
わたしたちは、一つの共同体や一国の能力を超えた世界的な現象に直面していることに気づかなければなりません。それを根絶するためには、この現象自体がかかわる人々の数に匹敵する規模の人々を動員しなければなりません。ですから、わたしは、現代の奴隷制という悪しき現実を目にしたすべての善意の人、近くにいる人も遠くにいる人も、民間組織の幹部に対しても、この悪に加担しないように、また自由と尊厳を奪われている兄弟姉妹の苦しみから目を背けないように強く求めます。そして、キリストが「わたしたちの兄弟であるこのもっとも小さい者」(マタイ25・40、45)と呼んだ、この数え切れないほど多くの人々の顔に表れている苦しむキリストのからだに、わたしたちが勇気をもって触れることができるよう願います。
神はわたしたち一人ひとりに、「おまえの兄弟姉妹に何をしたのか」(創世記4・9-10)とお尋ねになることを、わたしたちは知っています。現在、大勢の兄弟姉妹の生活を苦しめている無関心のグローバル化に対処するためには、わたしたち全員が、連帯と兄弟愛のグローバル化を実現させる必要があります。そうすれば、彼らは、新たな希望を抱き、現代のさまざまな問題に直面しても新しい展望のもとに勇気をもって歩むことができるでしょう。その展望は、彼らが切り開くものであると同時に、神によってわたしたちの手にゆだねられたものでもあるのです。
バチカンにて
2014年12月8日
教皇フランシスコ
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カトリックの神学者 元清泉女子大学助教授、元日大教授の
角田信三郎先生より
皆様にお祈りしていただきたいことがあり、この稿を書いております。
それは、北朝鮮の、地下教会や悪名高い収容所で、信仰故に、大きな十字架を担っている我らが同信の友のために祈ってくださる事です。
前大戦が終わるまで、日本統治下にあった北朝鮮には、東洋のエルサレムと讃えられた、堅固なカトリック信徒の教会がありました。信徒の数は約6万、長年にわたる各国宣教師の犠牲的宣教の成果でした。
ところがこの教会は朝鮮戦争以後、史上最悪の反人道、反神、反教会国家北朝鮮政権の苛烈、凄惨な迫害下に、無数の殉教者を出して、地上から消えてしまったのです。
現在残っているのは全国で約5000人の、北政権の宣伝用の御用教団〈無司祭、無ミサ)以外には、地下教会と収容所で大きな十字架を担っている少数の信徒がいるだけです。
日本教会は過去70年、この北朝鮮の友に対して誠に冷淡、無関心でした。僕たちその罪滅ぼしを兼ねて、忘れられている同信の友のために祈ろうではありませんか。
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フランシスコ教皇 世界平和/ 拉致問題と奴隷/北朝鮮で苦しむ人のために祈ろう/
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