宮木巡査部長さんだ!!この記事を見て驚きました。 実は、昨年、シートベルトをうっかりするのを忘れて 車を発進してしまって、このおまわりさんに見つかって 交通違反で注意されたのです。 でも、この宮木巡査部長の笑顔と、優しいご対応に 逆に、悪いことをしてしまった、ごめんなさい・・・・・ とっても素直な気持ちで反省することができました。 その後、川西市で、車で走っている時に寒い寒い日も雨の日も、 子供たちのため、市民のため、 パトロールを続けておられるによくお見かけしていました。 いつも、川西市民のため、子供たちのためにありがとうございます しかも、こんな立派な方だと知り、本当に感動しました。 これからもどうか、お仕事がんばってくださいね 兵庫県警、川西警察の誇りです。 今度、お見かけしたら、お疲れ様ですと敬礼したいと思います 川西警察の宮木智春巡査部長 神戸新聞 http://www.kobe-np.co.jp/news/shakai/201501/0007657132.shtml 「復興見守る」兵庫に20年 警視庁から “永久出向” 阪神・淡路大震災で警視庁から兵庫県警に応援に入り、志願して兵庫に残った 川西警察署の宮木智春巡査部長=川西市多田桜木2 |
阪神・淡路大震災の復興支援で警視庁から兵庫県警に出向し、 志願して被災地にとどまった警察官がいる。川西署地域3課の 宮木智春巡査部長(47)。震災の9年後、豊岡市の駐在所で台風23号の 水害にも直面した。「災害では家族や地域の絆が命を守る」。 2度の災害を経験して得た実感を若手警察官らに伝えている。(井関 徹) 静岡県出身で、高校卒業後、警視庁に入った。東京都北区の 王子警察署にいたとき、阪神・淡路が起こった。27歳だった。 横倒しになった高速道路の映像に体が震えた。 「街がつぶれていた」。救援で神戸に派遣された同僚署員から、 被災地の悲惨な状況を聞いた。震災半年後の1995年7月、 兵庫県警への特別出向に応募した。 パトロール隊員として芦屋署を拠点に活動。仮設住宅を回って お年寄りに声を掛けた。誰にもみとられず、1人で亡くなる被災者もいた。 「震災がなければ違う人生だったかもしれない」と理不尽さに胸が痛んだ。 翌春、一緒に来た仲間は東京に戻ったが、残留を志願した。 「お客さん気分で終われない。最後まで復興を見届けたかった」。 97年4月、“永久出向”を決断し、兵庫県警に移籍した。 芦屋署などで9年間勤務し、2004年3月、豊岡市の庄境駐在所に 赴任。約半年後の台風23号で円山川の堤防が決壊し、 受け持つ約1400世帯の大半が濁流を受けた。 住民の安否確認に奔走し、出産間近の妊婦を病院に運ぶ手助けをした。 駐在所も1階が水没し、家族は避難所生活を強いられた。 それでも、復興では住民が助け合い、地域に連帯感が生まれた。 「本当に役に立てたのか」。2度の災害にかかわり、今でも自問自答する。 兵庫での20年を振り返り、思いを新たにする。 「携わった活動の経験を若手に引き継ぐことが役割」 ◇ 兵庫県警は95年7月~98年3月、大阪府警や警視庁を中心に 延べ計810人の出向者を受け入れた。任期を終えても残留した 警察官は宮木巡査部長を含めて10人いる |