西村眞悟先生のブログより 私もおそれおおいですが、西村眞悟先生に共感いたします。 私は平沼先生にかつて、かけはし塾にて平沼塾第一期生として 政治の信念を学びました。 経済、政治家の志について園田先生からも学びました。 政治家を志した若き日の頃から 「自主憲法制定の必要性」を貫きつづけ そのことで、二回も落選されましたが、それでも信念を 曲げず、三度目に当選されました。 今の次世代について批判するつもりはありませんが 平沼先生、そして園田博之先生の自民党復党は地元の 支持者にとっても、日本の国益にとっても素晴らしいことだと 思います 平沼赳夫という救国の存在について記す 西村真悟 平成27年8月16日(日) 現在の我が国において、 平沼赳夫という存在は、 天佑である。 昨日、八月十五日午後三時三十分、 私は、参集殿に集まった二百六名の同志と共に靖国神社に昇殿参拝した。 平沼赳夫先生は、午前中に参拝された。 従って、平沼先生と私は、会うことはなかったが、 八月十五日に靖国神社で、英霊とともにいた。 その上で、本日朝、次のことから語っていきたい。 八月十五日は、明治維新以来、我が国最大の運命的な日である。 この八月十五日を、昭和二十年以降、歴史的な「八月十五日」にしたのは、 昭和天皇と 江戸時代(慶応三年)生まれの二人の忠臣、 鈴木貫太郎総理大臣と平沼騏一郎枢密院議長である。 鈴木貫太郎と平沼騏一郎がいなければ、 終戦の御聖断はなく八月十五日の玉音放送もなかったのである。 阿南陸軍大臣は、前日、鈴木総理大臣に退出の暇乞いをし、当日未明、自決する。 そして、全国民は、終戦を知り、 本土とアジアに展開する総数四百十八万人の帝国陸海軍将兵は、 戦闘を中止し粛々と武装解除に入る。 ここに我が国と世界の時代は、一転する。 この「八月十五日」がなければ、 我が国と世界は、終戦の詔書(玉音放送)にあるとおり、 「我が民族の滅亡を招来するのみならず、ひいて人類の文明をも破却す」る事態に陥ったであろう。 そうならなかったのは、終戦の御聖断が玉音放送によって全国民に伝えられたからであり、 その玉音放送の前提に、 御前会議において御聖断にこぎつけた鈴木総理と平沼枢密院議長の決定的な働きがあったからである。 ここにおいて、この「八月十五日」の大転換は、 現在の我々に、何を示しているのであろうか。 それは、次ぎのことである。 即ち、我が国において、 歴史(天)は、密かに「万策尽きたあとの最後の一手」を下す者を準備し、 もはや後がないという決定的な時に、 彼にその「一手」を下させるということである。 しかもその時、天は、その任に、党派や経歴などは眼中になく、 ただ、 彼の至誠を以て彼を選ぶ。 そこで、諸兄姉、 現在の我が国を取り巻く内外の状況を見詰めていただきたい。 結論から申せば、現在は、最も危機的な 「亡国の閉塞状況」ではないか。 大東亜戦争開戦の決定に当たり、 海軍軍令部総長の永野修身海軍大将は、次ぎのように言った。 「戦はざれば亡国必至、戦うもまた亡国を免れぬとすれば、 戦はずして亡国にゆだねるは、 身も心も民族永遠の亡国であるが、 戦って護国の精神に徹するならば、 たとひ勝たずとも祖国護持の精神がのこり、 われらの子孫は、必ず再起三起するであろう。 統帥部としはもとより先刻申したとおり、 あくまで外交交渉によって目的貫遂を望むものであるが、 もし不幸にして開戦と決し、 大命が発せられるようなことになるならば、 勇躍戦いに赴き、最後の一兵まで戦う覚悟である。」 即ち、現在、我が国は、 われらの子孫が、 民族の歴史と誇りを奪われて、決して再起できない 『身も心も民族永遠の亡国』の淵に追いつめられているのではないか。 なるほど、現在、「平和」である。 昭和十六年から二十年までのように、爆撃もなく戦死者もいない。 しかし、現在、 北朝鮮に拉致された同胞の救出には、長年にわたって無関心で打ち過ぎ、 国家の防衛を「憲法違反として阻止しようとする者」がちやほやされ、同時に、 英霊に追悼の誠を献げることを外国に迎合して抑止しようとする風潮が蔓延する。 さらに加えて、われらの子孫の受ける教育は、 民族の誇りを拒絶することを基本方針としているのだ! これこそ、昭和十六年の開戦前夜よりも、 さらに危機的ではないか! 昭和十六年は、決して、「身も心も民族永遠の亡国」に至る道に向かわなかった。 しかし、現在は、 「身も心も民族永遠の亡国」に至る道を自ら喜々として受け入れている。 昭和十六年と、現在と、 どちらが深刻な危機か、明らかであろう。 この危機にあって、我が国政治の状況を如何に克服し立て直すべきか。 七十四年前は、国民は戦場に赴いて国家に対する任務を遂行しようとした。 同様に、七十四年後の現在、 われら一人々々、国家に対する任務を遂行する思いを以て、 「愛国の政治」の再建に取り組んでいただきたい。 諸兄姉に、このように、呼びかけた上で、 同志としてここに提言する。 安倍晋三総理大臣は、 「日本を取り戻す」そして「戦後体制からの脱却」を掲げて政権を担った。 これ、我が国家の危機を自覚した故の目的であり、それ故、国民は安倍総理を支持した。 しかし現在、この救国の目的は暗雲に隠されている。 そして、それを隠したものは戦後体制内の与党そのものである。 これは、八月十四日の総理大臣談話と、 「八月十五日」の総理大臣の靖国神社参拝回避の動静に明らかである。 安倍晋三の目的、心ある国民の目的、つまり、 「身も心も民族永遠の亡国を阻止する方策」の最大の内なる障害は、与党の中にある。 これ、七十年前の「八月十五日」の最大の障害が、内閣の中にあったのと同じである。 しかも、現在、噴火直前のような強烈で得たいの知れない外圧と、 それが我が国内にもたらす内部分裂の危機が迫っている。 明治の田中正造は、「亡国を知らざれば、これ即ち亡国」と言った。 現在の状況は、まさにこれではないか。 こと、既に、茲に至っている。もはや時間はない。 では、歴史(天)が、 この「万策尽きた後の最後の一手」として準備してきた存在は誰か! 私は、言う、彼は、 平沼赳夫である、と。 その、天に対する役割は、「八月十五日」の、ともに慶応三年生まれの七十八歳の二人、 即ち、鈴木貫太郎と平沼騏一郎と同じである。 特に、平沼騏一郎男爵枢密院議長は、平沼赳夫先生の先代であり、 これ、不可思議で見事な歴史の符合ではないか。 私は、衆議院議員となり、平沼赳夫先生の知遇を得て、 長年、拉致被害者救出運動のなかで、 拉致議連会長の平沼先生に、幹事長としてお仕えしてきた。 その間、平沼先生は、小泉総理の郵政民営化に反対されて自民党を出られ、 その後、自民党を離党した多くの後輩を自民党に復党させ、 自らは復党せず「武士の一分」を貫かれた。 そして私は、苦難のなかに於いて平沼先生の恩義を受け、先生に、 「士は己を知る者の為に死す、という言葉を、先生に献げさせていただきます」と申した者である。 平沼先生は、衆議院議員に最初に立候補したときの公約である 「自主憲法制定」を、 自民党が表に出さなくなっても、一貫して掲げ続けて現在にいたっておられる。 そして、鈴木貫太郎や平沼騏一郎と全く同じで、 人を押しのけて地位を得ようとしたことは一切ない。 これ、まさに、平沼赳夫先生の、政界での存在自体が、 天佑であり、 日本そのものであり、 日本を真に取り戻す存在そのものではないか。 よって、私は言う。 平沼先生には、我が国の歴史的存在として、 党派を超越して、即ち天下の存在として、 自民党の中に入り、即ち城外ではなく城内において、 孤立させてはならない安倍総理と力を合わせて、内外の障害を克服して、 七十年前の「八月十五日」の実現のように、 一挙に「日本を取り戻す」大転換に力を尽くしていただきたい。 「八月十五日」を実現するために力を尽くされた御先代と、 今、同じお立場に立たれている歴史的巡り合わせを噛みしめていただきたい。 諸兄姉、 日本を信じて、我が国の歴史に於ける平沼赳夫先生の存在の意義を確信して、 「愛国の政治」を実現し、 日本の明るい将来を拓いていこうではありませんか。 この一文は、 「八月十五日」に靖国神社において英霊を思い、 鈴木貫太郎と平沼騏一郎の最後の御奉公を思い、 現在の平沼赳夫先生の歴史的任務を感じ、 翌朝の本日、書いたものであります。 従って、平沼先生には、 八月に入ってから会ってもいない西村が、 突然以上の如きものを、事前に断ることもなく書くご無礼を、どうかお許し戴きたい。 なお、 「愛国の政治」という言葉は、 私西村の出身政党であり、平成六年に解党してしまった自民党よりまだ右と言われた民社党の党歌の歌詞です。 いまぞ集う「愛国の同志」、 いまぞ築く「愛国の政治」! 諸兄姉に、この党歌を歌っていた政党のあったことを覚えていただければ、これに勝る喜びはない。 |