教科書採択について思う 今、各地の教科書採択の時期となり、各地で教科書採択について 話題となっています。 保守の専門家の方々の間でも 育鵬社がいいか 自由者がいいかという議論が活発で 育鵬社や自由社の教科書採択について反対する勢力や 過去にも歴史認識で、日本の教科書の内容に中国や韓国が 反発してきたりと、国内の教育問題ということを超えて 大きな話題となっています 教科書の採択については、文科省の通知にもあるとおり 教科書が教科の主たる教材として学校教育において重要な役割を 果たしていることに鑑み,教育委員会その他の採択権者の判断と 責任により,綿密な調査研究に基づき適切に行われる必要があります。 現場の授業を行う教員の資質により、また独自の教材研究に基づき プリント資料を作成したり、現場教員に選択を実質、まかされている 副教材を重視して、教科書をあまり使わないケースもあります また、教員によっては、問題ある偏向したイデオロギーを持ち、 教科書がどのような内容かに関わらず、独自の授業で 偏向した授業を行うケースもあります。 しかし、教科書は授業での使用はもちろん、自宅での予習、復習、 受験勉強など、子どもたちが学ぶ指針となりますから、 重要な役割を果たしています。 この教科書採択ですが 過去に私は、教員として、ある教科の学校担当者として 採択の意見書を出したことがあります。 また、PTA会長や顧問をしていた高校では、審議会に 意見を述べる担当もした事があります。 私は、保守、右だと普段から言われていますが、 学校の教員、常勤講師として勤務した時は、 教育公務員法で、正規教員に準ずる立場として 公共の福祉、公平中立が求められるのですから 徹底して公平中立の立場を貫きます。 正規教員の方はなおさら、公平中立を徹底すべきであり プライベートとは違い、仕事をする上では法律は守らねば なりませんし、 それが公教育のプロとしての責務だと思います。 また、PTA会長、PTAの代表として意見を述べる時も 何百人もいる保護者の代表であり、様々な家庭環境、様々な家庭の 思想信条や宗教の違いなどもありますから 私自身のイデオロギーや信仰における立場を極力抑えて 公平中立の立場で、すべての子供たち、保護者、そして学校や地域に プラスになるような意見を述べます。 公的な立場での発言と プライベートの個人的な発言は わけて考えることがたいへん重要であると思っています。 ですから、このブログやfacebookは、公的な立場でない プライベート空間ですので、好き勝手な事を書いています。 また、プライベートで、政治的活動をする場などでは 自分のイデオロギー的な事を強く発言することも多いですが 仕事の場では、徹底的に公平中立を貫きます。 教育現場で、政治活動や選挙活動や自らのイデオロギーに基づいた 発言をすることがあってはならないのです。 政治的発言をするのは、左翼的な教員に多いことですが それが左でも右であっても 現場では慎むべきです たまに自衛隊生きの私は、自衛官の子供さんが、制作などの時に 「戦車」のイラストを描いたりした時に 「素敵ね。先生も自衛隊が好きで自衛隊のおまつりに行った事 あるよ」と言ったりすることもありますが。 定められた学校のシステムやルール、法には従わなければ なりませんから、たまに自衛隊好きの私は、自衛官の子供さんが、制作などの時に 「戦車」のイラストを描いたりした時に 「素敵ね。先生も自衛隊が好きで自衛隊のおまつりに行った事 あるよ」と言ったりすることもありますが。 定められた学校のシステムやルール、法には従わなければ なりませんから、過度な政治的主張はしません 国旗君が代は、文部科学省に、子供たちに指導する事が定められて いるので、これはイデオロギー関係なく、指導、教えるのは当然のこと 逆に自分個人ではここまでは必要ないと思うような 同和教育、人権教育、平和教育であってももちろん粛々と行います。 ただし、現場の教員の中には、その公平中立の立場をとらず 自らのイデオロギーで、国旗・君が代を拒否したり 偏向した授業を行う人が多い。これを私は強く憂いてきました。 「公平・中立」教育の使命です。これが嫌なら辞めるべきです 現在、「伝統と文化を尊重し、わが国と郷土を愛する」という 教育基本法の理念が国際化の今、大切でありこれは イデオロギーではなく、基本理念です。 これを大切にしつつ、真の意味での公平・中立な判断が求められます 教科書の採択問題ですが この教科書の採択においても、もっとも大切な事は、 採択の公正確保、そして最終決定権を持つ教育委員が 宏正中立に判断することです 教科書の採択は、権限は、公立学校で使用される教科書については、 その学校を設置する市町村や都道府県の教育委員会にあります 全国の各市町村や都道府県、地域の特性などもありますから 国ではなく、各市町村単位で選択されるというのは 地域の特色を考慮する上で大切なことです 教科書の採択には、簡単におおまかにいうと 4~5段階の審議、調査があります。 ①まず、学校の現場の教科担当の教員が、各社の教科書を比較し 教科代表の調査委員に意見を伝える 学校の教科担当の調査委員が、各学校担当者の意向、意見を 集約し、多くの観点から、比較検討し、各教科書会社の良い点 を評価し意見書とする ②各学校をまとめた教科代表、全教科の代表が集まり、意見交換し 意見書をまとめる →ここで、各学校をまとめる教科代表が、イデオロギーの強い 日教組教員だった場合など、強い意見を出してくるケースがある また数校の教科担当の意見を集約すべきはずで 教科担当で採択する教科書についてあがってきた意見がわかれ る場合は、代表者として両論併記で意見を述べねばならない はずであるが、自分の意見を述べるような代表がいる このような事があってはならないし、代表の公平性が 必要。 ③審議会で審議する、この場合、各学校の校長、教育長 保護者代表(PTAなどの代表)が意見書をもとに審議する →この場合も、慣例だからと今まで使われてきたもので決めると いう事のないよう、また意見書をそのまま鵜呑みにすると いう事のないよよう審議には慎重であるべき また、審議会は決して、決定機関ではない ④教育委員が、審議会の審議を参考に 最終決定する →慣例で、審議会が決定機関でもないにかかわらず 決定したものを教育委員が、たいした調査もせず そのまま、決定するという事がある地域もあるが あくまで、教育委員が最終権限を持つのであるから 教育委員があらかじめ、たいへんな作業であるが すべての教科の教科書を教員委員自身も 入念に調査し、綿密に調査研究し 審議会の審議を 参考にして、教育委員で決定する。 なので、①、②、③、学校現場の調査委員、教科代表の意見書 を経た審議会の教科書に対する見解と 教育委員が決定する教科書が、まったく違う決定になる事も 十分、ありえること 要は、教育委員を任命する市長の責任も重いし 教育委員の資質がとても重要であるということ 市民のアンケート、各学校の教員の意見、調査委員、審議会 これはあくまでも慎重に検討するための資料にはなるが、 決定権は教育委員にあり、審議会までの意見書と 最終決定が食い違う場合は、意見書に対し、どういう見解で 最終決定がなされたかの説明も重要である そこで、この公正、公平で慎重、綿密に調査研究し 静謐な環境で、行政の権限で粛々と行うことが重要なのです しかし、また同時にそれが密室で行われてはならないし 審議調査の経緯を公表し、明らかにすることが大切です まず、教科書の各会社もそれぞれ、時代に応じた社会の変化にも 対応し、新しくなった文科省の指針、学習指導要領に基づき 学校の教員が、使いやすく、また子供たちがいかに、今の時代 学ぶ喜びを感じ、興味関心を持つ内容であるかを 研究し、発行しているのは変わりはない。 今、育鵬社、自由社の、歴史認識をただした教科書の使用について 賛成、反発の議論が盛り上がっているところですが 育鵬社、自由社においても、イデオロギーに偏ったものではなく あくまで、公平中立ですべての子供たちのためになるように 配慮された教科書であり、私は特別に右だとか、排除するような 論調はおかしいと思う しかし、社会科の教科書以外、国語、算数数学、理科、総合 保健体育、様々な教科があり、 その教科書の出版会社もたいへん努力し、文章の内容だけでなく 美しいイラストや写真、デザインも工夫していて 特に音楽や家庭科、美術、図工など、芸術性の高い教科は 専門性と美しく楽しい教科書の工夫が各出版社でなされている 保守の人にはもちろん社会科の部分では、育鵬社、自由社を 推薦している人が多いのですが 他の出版会社を単純にすべて悪かのようにいう論調もまた 短絡的であるし 逆に 教科書会社が、過剰な宣伝をすることも許されることではない そして、文科省は、 教科書採択の公正確保の一層の徹底は必要で、 そのために 教職員の投票によって決定されるようなことはもとより, 十分な審議や調査研究を経ずこれまでの慣例のみによって 決定されるなどにより, 採択権者の責任が不明確になることがないよう,採択手続の適正化 に努めることと通知を出している 静ひつな採択環境を確保するため, 外部からの働きかけに左右されることがないように しなければならない この外部というのは、かつては、共産主義、日教組、 特定のイデオロギー集団により、外部からの激しい圧力などが あったことを示しているが 今回も、市民大集会 教科書のつどい 教育を考える会というような 育鵬社、自由社の採択に反対する団体の集会や呼びかけ、 チラシ配布などが行われたりしているが このような外部の喧噪、働きかけに左右されてはならないのです。 円滑な採択事務に支障をきたすような事態が生じた場合や 違法な働きかけがあった場合には,各採択権者が警察等の 関係機関と連携を図りながら,毅然とした対応をとることと されています。 外部からの働きかけについて状況を適切に把握し, 過当な宣伝行為その他外部から不当な影響等により 採択の適正,公正の確保に関し問題があるというケースは あってはならないし、許されることではないのです 要は、教科書会社の過当な宣伝も不可であるし 一定の教科書をイデオロギー、思想によって 「採択するな」という左の活動も もしくは、「採択しろ」という右の活動にも 左右されてはならないということ。 公正中立で慎重な教科書採択を妨害するものであるといえます。 もちろん、市長村の地域住民や子供の教育に関心を持つ 保護者などが、イデオロギーなどではなく 真に子供たちのためを思い、教科書展示会に参加し、アンケートや 意見を述べることは大切ですが その地域の特性も子供たちの事も知らない、地域に関係のない 政治的なイデオロギーを持つ団体の構成員などが 自らのイデオロギーによって、不当に介入し 外部圧力や宣伝、市民への圧力をかけることは、よくない事です もし、真に子供たちのためを思うのであれば 各教科書について、比較検討調査し、地域の特性も考慮しつつ 決定機関である教育委員や、その任命者である市長に対して 「イデオロギー色を排除し、適切で、公平中立の立場で 公正な教科書採択が行われることを切に希望し、 個人として、調査研究した結果、○○の教科書のこんなところが 素晴らしいと思うので、ぜひご検討いただきたい」という メールや手紙、要望書を送るにとどめることが 静謐で公正な教科書採択のために必要な事であると私は思います。 市民ではないものが 一般市民や保護者に対して、宣伝やチラシ配布などを することは 外部に左右されるなというルールにより 外部圧力ととらえられ、逆効果を生む可能性があります。 動きが騒がしければ騒がしいほど、過激であれば過激であるほど 逆効果ということです。各地の教科書採択に文句をつける 勢力もたいがいにすればいいのに、逆効果だと思います 今まで、左翼、日教組がしてきた悪質な行為 これを冷静にただしていくべき時だと思います。 教科書採択は、決定機関の「教育委員」の資質が重要です 地方公共団体の長(首長)が、議会の同意を得て、任命する のが、教育委員です ですので、市長選挙が重要で 教育再生に熱意のある、より良い市長と よりより議会により、任命される教育委員が 教育を考える上でも重要だと思います 様々な家庭環境、様々なライフスタイル、様々な職業の父母を持つ 子供たち、また、地域に住むすべての子供たち 公立学校に通う子供たちすべてが、日本人も外国籍の子も含め 幸せに、そして、 美しい日本の伝統と文化を尊重し、日本の国と郷土を愛する 心を育み、立派な日本の未来をつくり日本に貢献する宝として 成長することを願います |