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園田博之衆院議員が死去  心よりご冥福をお祈りいたします。

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園田博之先生には、東京での政治塾、たちあがれ日本かけはし塾第一期生の時に 日本の経済について、また、政治家としての心構えなど多くのご指導をいただきました。私の父親は熊本天草出身で、叔母や父親、親戚は、園田直、園田博之先生は、熊本天草にとって神様みたいな存在だとよく言ってました。 平沼 赳夫先生とともに園田博之先生は私の政治の師であり尊敬しています。

心よりご冥福をお祈りします。 園田博之先生 有難うございました。先生から受けた学びとご恩は忘れません。

悲しいですが、先生に教えていただいたことを生かして

頑張ってまいります

 
 

 

園田博之衆院議員が死去 76歳、元官房副長官

©株式会社熊本日日新聞社

 村山内閣の官房副長官や新党さきがけ幹事長などを歴任した自民党衆院議員の園田博之(そのだ・ひろゆき)さん=比例九州=が11日、肺炎のため東京都内の病院で死去した。76歳。自宅は熊本県天草市古川町11の13。通夜・葬儀は近親者のみで行う予定。喪主は長男哲也(てつや)さんと長女桂子(かつらこ)さん。

 1942年、旧河浦町生まれ。父の園田直元外相が亡くなった後の86年衆院選で、継母の故天光光氏との“骨肉の争い”を制して初当選。連続当選11回を重ねた。

 持論の「保守二大政党による政界再編」を掲げて93年、自民を離党。武村正義氏らと新党さきがけを結成し、非自民8党派による細川護熙政権の誕生に貢献した。自民、社会、さきがけの3党連立となった村山富市政権で94~96年、官房副長官を務めた。

 99年、自民に復党し、政調会長代理や幹事長代理を歴任。2010年には再び政界再編を目指してたちあがれ日本の旗揚げに加わり、日本維新の会などを経て15年、自民に再び復党した。

 水俣病の未認定患者救済では、官房副長官として95年の政府解決策に携わった。2009年に議員立法で水俣病特別措置法が成立した際には、与党プロジェクトチーム座長として被害者団体や原因企業チッソなどと折衝し、救済策づくりを主導した。小泉内閣の郵政民営化法案の取りまとめにも尽力した。

 県内小選挙区の1減に伴い、17年衆院選で旧熊本4区から比例九州に転出した。園田氏の死去で、自民の比例九州名簿に基づき宮崎政久氏が繰り上げ当選する見通し。(内田裕之)


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