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㊗長﨑と天草 世界遺産登録「守った信仰、先人の営みに価値 大阪の大司教、世界遺産登録に感慨深く」

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㊗「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」 世界遺産登録

~サッカーとカトリック~

長崎・五島列島や天草の﨑津集落が世界遺産登録になりました。
世界に誇るキリシタン遺産です。これから世界中の方が観光に訪れることでしょう

天草の﨑津集落
私の亡くなった父親は、天草の新和町、碇石の出身で
そこから車で20分くらいの距離に海に面した﨑津集落があります。
天草は父親に連れられて子どもの時に訪れましたが、また行ってみたいです。
天草は、キリシタン大名の小西行長が1500年代に統治して以来
島原天草の乱や禁教の時代、苦難を超えてきた島民。

私の500年前の私のご先祖もきっとキリシタンだったのだと思います。
私が長﨑五島出身の赤波江豊神父様のもとで大阪教区で
洗礼を受けてクリスチャンになって洗礼名ジャンヌダルクをいただいたのは
14年前で、今も日曜日に教会でオルガンを弾いています。
14年間、平和と人々の幸せを願いお祈りしてきました。
いろいろな素晴らしい信徒様や神父様にも出会うことができました。

今回、大阪教区から枢機卿様が生まれたこと、長﨑や天草が世界遺産になったことは
クリスチャンの私にとっても大きな大きな喜びと幸せです。

ところで、私はサッカー大好きで自分もサッカーしていますが
今日、ワールドカップで日本代表が惜しくも敗れましたが
大活躍した選手の中で、長﨑出身のDF吉田麻也選手はカトリッククリスチャンの
ようです。 ワールドカップを見ていたらわかりますがサッカーの強い国は
カトリックの国が多いです。 日本に勝ったベルギーもですが
スペイン・イタリア・ポルトガル・ポーランド
アルゼンチン・ペルー・コロンビア・プラジルなどなど・・・・貧しい国が多く
ハングリー精神も高いと思いますが

信念のためには命をも惜しまない 苦難を乗り越える信念と強さが 
潜伏キリシタンと共通するのだと思います。



守った信仰、先人の営みに価値 大阪の大司教、世界遺産登録に感慨深く
https://www.sankei.com/west/news/180630/wst1806300044-n1.html

記者の質問に答える前田万葉大司教=6月30日、大阪市中央区(須谷友郁撮影)



 国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の登録が決まった。禁教政策下に信仰が維持された集落など12の資産で構成する。潜伏キリシタンの子孫でカトリック大阪大司教区の前田万葉大司教(69)は、「建物よりも迫害に耐えて信仰を守ったことや、棄教も含めた人間の営みにこそ世界遺産の価値がある」と言う。自らのルーツに重ねた思いを聞いた。(坂本英彰)

 前田大司教は28日、ローマ・カトリック教会で法王に次ぐ高位の聖職者である枢機卿に就任した。

 島原の乱など江戸初期の禁教は有名だが、長崎・五島列島出身の前田氏にとって禁教は遠い歴史ではない。明治初期の弾圧は家族史の一部として、子供のころに聞いて育った。

 「五島列島・久賀島(ひさかじま)にいた父方の曾祖父家族9人が捕まり、6坪の牢に200人も閉じ込める拷問を受けた。21歳だった曾祖父は8カ月の入獄を生き延びたのですが、3人の妹が命を落としたのです」
「信徒発見」と迫害

 最後の大弾圧は皮肉にも江戸幕府が開国した後に起きた。在留外国人のための大浦天主堂(構成資産のひとつ)が長崎に建てられた翌1865年、潜伏していたキリシタンが訪れて神父に信仰を告白したのだ。

 〈ワタシノムネ、アナタトオナジ〉

 この出来事は「信徒発見」として西洋に衝撃を与えたが、信徒たちが次々と信仰を表明して禁教に抵抗し始めたため幕府には好ましくない事態となった。やがて厳しい取り調べや棄教の強制が始まり、それは1868年に明治となっても新政府に引き継がれた。

 「五島列島・野崎島にいた母方の曾祖父は、平戸に連行された。曾祖父は拷問に耐えかねて転んだふりをして解放されたが、故郷に帰ってから罪の意識にさいなまれたと子供たちに話したそうです」

 同じように野崎島に帰った信者たちは罪滅ぼしの印に、生活を切り詰めて教会を建てた。同島の旧野首教会を含む「野崎島の集落跡」は、こうした人々の思いが詰まった構成資産だ。
前田大司教は一方、弾圧を加えた側にも思いをはせる。

 「取り調べの役人も職務でしているだけであって、拷問したいわけではない。ウソでもいいから転んだと言ってほしいという気持ちだったでしょう」

 三尺牢の拷問

 浦上四番崩れと呼ばれる大規模摘発では、3000人以上の信徒が長崎から諸藩に流された。津和野藩(島根県)は改宗が困難とわかるや拷問に転じ、足腰も伸ばせない三尺牢に閉じ込めるなどして37人が亡くなったとされる。前田大司教は広島司教だった平成25年、殉教者を福者や聖人に認めてもらう運動を始めた。「信教の自由や人権の大切さを訴えることができると考えた」と言う。

 欧米諸国の抗議を受け禁教政策に事実上の終止符が打たれたのは明治6(1873)年。前田大司教は「先祖が命をかけて守ったものを受け継いでいるとの思いは強くあります」と話した。

サンケイ新聞






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