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兵庫県の神社 初詣参拝者数 ベスト10 7位に川西市多田神社  姫路 書寫山圓教寺 もおすすめ

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1位 生田神社、2位 湊川神社、3位 長田神社

1位 
参拝者数 約152万人 生田神社(いくたじんじゃ) 神戸市中央区

三ノ宮の中心部に位置し、「生田さん」と親しまれている神社。毎年、多くの参拝客で賑わい、近年では若者の参拝者が増えています。

ご利益:健康長寿・交通安全・縁結び・必勝祈願

2位
参拝者数 約90万人 湊川神社(みなとがわじんじゃ) 神戸市中央区

足利尊氏の大軍と戦い、兵庫湊川で最期を迎えた楠木正成公を祀り「楠公(なんこう)さん」の愛称で親しまれている神社。毎年、多くの参拝客で賑わいます。

ご利益: 国家安泰・家内安全・健康長寿・学業成就・合格祈願・開運招福


3位
参拝者数 約70万人 長田神社(ながたじんじゃ) 神戸市長田区

長田神社(ながたじんじゃ) 神戸市長田区
事代主神は、「恵美主(えびす)さま」「福の神」ともいわれ、商工業をはじめ、あらゆる産業の守護神、日々の生活の開運招福・厄除解除の神として崇敬され、神戸市民から「長田さん」と親しまれています。初詣には、約80万人を超える人が訪れます。

ご利益:商売繁盛・開運招福・厄除


4位
参拝者数 約50万人 西宮神社(にしのみやじんじゃ) 西宮市

西宮神社は全国のえびす神社の総本山として古くから崇められています。1月9日から11日までの3日間は、阪神間における最大の祭典である「十日えびす」で知られ、商工業者や漁師など100万人を越える参拝客で賑わいます。ご利益:商売繁盛

5位
参拝者数 約50万人 播磨国総社 姫路市

播磨国総社は家内安全、商売繁盛、縁結びなどの御利益があるといわれ、正月三が日には例年約50万人が訪れます。平成18年11月に完成した「総社御門」は、正月も参拝できます。周辺には露店も多く出店します

6位
参拝者数 約30万人 清荒神清澄寺 宝塚市

お正月には非常に多くの善男善女が三宝荒神王のご利益を授かりに初詣に訪れます。その数、三箇日で30万人、年間ではおよそ350万人に達し、ご参詣の人波が途切れることはありません。


7位
参拝者数 約20万人 多田神社 川西市多田院

多田神社(ただじんじゃ)は兵庫県川西市にある神社。多田院として国の史跡に指定されている。

8位
参拝者数 約17万人 赤穂大石神社 赤穂市上仮屋

大石神社(おおいしじんじゃ)は、元禄赤穂事件において討ち入りをした大石良雄ら赤穂浪士を祀る神社。江戸時代には江戸幕府にはばかって表立って顕彰することはできなかったが、1868年(明治元年)、明治天皇が赤穂浪士の墓のある泉岳寺に勅使を遣わしこれを弔って以降、赤穂と京都に赤穂浪士を祀る神社が創建された。

9位
参拝者数 約12万人 鹿嶋神社(かしまじんじゃ) 高砂市阿弥陀町

鹿嶋神社は聖武天皇の勅願によって国分寺とその東院として大日寺が建立されたとき、その鎮護の神として奉祀されました。

一人一人願心を定めてお参りするとき、その願いは必ず叶えられる霊験の著しいことをもって、一願成就の神として有名です。神前で香をたき、お灯明を点じるという珍しい習わしがあります。
ご利益:一願成就・合格祈願

10位
参拝者数 約10万人 日岡神社 加古川市加古川町

日岡神社(兵庫県加古川市加古川町大野)の境内に、毎年恒例の巨大絵馬がお目見えした。来年の干支・巳にちなみ、ヘビの親子を描いたデザインで、新春の初詣客を迎える。





もちろん川西市の多田神社への初詣は おすすめ!!ですが、



13位ですが、姫路の書寫山圓教寺

 参拝者数 約1万人 書寫山圓教寺 姫路市書写山

このお寺は、今年は軍師官兵衛ゆかりのお寺であり、官兵衛ゆかりの姫路城にも近く
参拝者が増えるかなと思います。

 このお寺の「書写山 円教寺 執事長 大樹 玄承様」は、宗派を越えてチベットの平和を祈念する僧侶・ 在家の会、2008年のチベットの騒乱、中国共産党によるチベットへの迫害を
憂い、チベットの救済と平和を訴え続けておられ、お寺にはチベットの旗もあります。
私もこの大樹 玄承様をご訪問して、このお寺のこと、チベットへの思いをお聞きして
感動した事があります。 牛若丸と弁慶の 弁慶が修行されたお寺でもあります。 

比叡山・大山とともに天台の三大道場と並び称された「書写山圓教寺」。姫路市内の北方・書写山山上に位置するこの地にも、官兵衛の足跡が残っています。
時は『中国征伐(せいばつ)』。西の毛利・東の織田信長の狭間で揺れ動く播磨の諸将は、官兵衛の説得により信長への加勢を決めましたが、別所長治が離反し毛利方へ…。信長の命を受け播磨にいた豊臣秀吉は、三木城の別所と毛利に挟まれる窮地に立たされました。その窮地を脱する術として、官兵衛は秀吉に「書写山圓教寺へ本陣を移す」ことを進言。受け入れた秀吉は、無事苦境を乗り切ったそうです。
書写山圓教寺を選んだ理由は、信長からの大量の援軍を収容できる場所、山上にあり敵の監視をおこなえる場所など、諸説あります。


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