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真珠湾 安倍首相とアメリカの和解 カトリックの記念日

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2016年12月28日(水)

1月1日は神の母聖マリアの記念日です
クリスマスでご生誕を祝った幼な子が
イエスと名付けられた日です。



聖母マリア様に守られながら
アジアを白人の有色人種差別から救い、独立に導き
原爆、空襲で、罪もない幼子、人々を虐殺され
ボロボロになって敗戦した 日本国は殉教者のようです


12月28日
安倍首相が真珠湾を訪問 オバマ大統領と慰霊をされました。
和解の象徴とされました。

カトリックでは12月28日は 幼子殉教の記念日です。
罪もなく虐殺された幼子に祈る日です
原爆広島・長崎や東京、大阪大空襲、沖縄で、罪もない幼子は虐殺されました。今現在も北朝鮮で、中国で、中東で共産主義者やISやテロリストにより幼子は虐殺されています。
12月28日の 日米の真珠湾での和解
世界中の子供たちの幸せのための記念の日になると思います



◆真珠湾攻撃記念日 12月8日 大東亜戦争開戦記念日
「無原罪の聖マリアの祝日」聖母マリアの祝日です。
日本は、16世紀から 聖母マリアの守護の国とされました。

◆日本とバチカンの関係は16世紀から
1549年 フランシスコ・ザビエル、鹿児島に上陸。
1585年 九州のキリシタン大名が派遣した伊藤マンショら天正遣欧少年使節が法王グレゴリウス13世及びシスト5世に拝謁。
1615年 伊達政宗が派遣した支倉常長ら慶長遣欧使節が法王パウロ5世に拝謁。
1942年 日本とバチカン、外交関係樹立(終戦後一時途絶)
1952年 日本とバチカン、外交関係再開



◆日本からバチカンへの要人訪問
1953年 皇太子殿下(当時)
1965年 常陸宮同妃両殿下
1984年 皇太子殿下
1993年 天皇皇后両陛下
2005年 川口特派大使(元外務大臣。法王ヨハネ・パウロ2世の葬儀出席)
武藤特派大使(元外務大臣。法王ベネディクト16世の就任式出席)
2009年 麻生総理大臣
2013年 森特派大使(元総理大臣。法王フランシスコの就任式出席)
2014年 安倍総理大臣
2016年 秋篠宮同妃両殿下 岸田外務大臣
日本とバチカンは、とても長く親密な外交関係にあります

◆大東亜戦争と
カトリックバチカンと日本、昭和天皇陛下との関係は重要です

摂政になる直前の大正10年、昭和天皇が皇太子殿下の時に
半年かけて欧州各国を訪問、最後にイタリアに行きローマ法王ベネディクト15世に会われました。

ベネディクト15世は、朝鮮独立をめざす3.1運動が19(大正8)年に起きた際、カトリック教徒が動かなかったことに触れ

◆「カトリックは確立した国体・政体の変更を許さない。世界の平和維持・秩序保持のため過激思想に対し奮闘しつつある最大の有力団体」と述べました。
天皇陛下、皇后陛下は、日本国内のカトリック信徒や枢機卿、シスターらととても親密な関係でありました。

支那事変勃発後3ヵ月経った昭和12年10月
ベネディクト15世の次代の教皇(法王)ピオ11世は

◆「日本の行動は、侵略ではない。日本は中国(支那)を守ろうとしているのである。日本は共産主義を排除するために戦っている。共産主義が存在する限り、
全世界のカトリック教会、信徒は、遠慮なく日本軍に協力せよ」
と 日本の反共産主義、防共の戦いを全面支援しました。


対米開戦直前の41年11月2日、天皇はローマ法王を通じた時局収拾の検討を東条英機首相に提案しています。開戦直前から、バチカンを通じての戦争終結の手段を考えろとおっしゃっていたのです

昭和天皇が
原爆投下二か月前にバチカンへ手紙を送り、使節を送り、開戦、敗戦、バチカンに平和と和平のために使節を送るご努力をなさっていました。

イギリス諜報機関は、天皇陛下とバチカンの接近を
機密文書に残し、大きな警戒感を持っていました。

広島とともに、カトリックの日本の聖地である長崎へ
原爆は投下されました。

終戦後
戦後は、共産党が合法化されて左翼活動が盛んになり、日本は
革命の恐怖がありました。
1952年 昭和27年4月18日 天皇陛下はバチカンに親書を送り
1952年 昭和27年4月28日  サンフランシスコ講和条約
GHQの占領が終わった直後すぐに 日本はバチカン大使館を
再設置しました。

1951年(昭和26年)9月8日、日本とアメリカの
サンフランシスコ平和条約を締結
した吉田茂元首相は、妻がカトリックであり、
東京カテドラル聖マリア大聖堂の後援会の会長でありました
この日は 聖母マリアの誕生日です

麻生元首相が、日本の首相になったとき、イタリアや
カトリック諸国では カトリックの日本の首相誕生と
大ニュースで絶賛されました。

今も 共産主義国や 世界各国、プロテスタントの国、
カトリック以外の国は

バチカンと日本の親密な関係を注視しています


世界各国の国々にはそれぞれ守護する守護聖人がいますが
聖母マリアに守護されているのは、日本



◆◆日本と聖母マリア◆◆
日本に初めてキリスト教を伝えたのは、イエズス会の宣教師「フランシスコ・ザビエル」です。

1549年8月15日に鹿児島の海岸に上陸しました。日本に着いた日が、ちょうど聖母マリアの被昇天の祭日に当たっていたこともあって、ザビエルは、日本を聖母マリアに捧げました。

日本と聖母マリア
他人が、ひとの国を誰かに勝手に捧げるとはけしからんと怒る向きもあるかもしれませんが、当人は、そんなつもりは、まったくありませんでした。マリア様の保護のもとに置けば、日本の国民は幸せになれると思ったからです。

ザビエルが、日本を聖母マリアに捧げたせいかどうか分かりませんが、日本の歴史的な出来事と、聖母マリアの祝日が重なっている事実は不思議です。
日本が真珠湾攻撃と機をいつにして米英に宣戦布告し、大東亜戦争が始まったのは、1941年12月8日。

カトリック教会では、12月8日は、聖母マリアが、その母聖アンナの胎内に宿ったことを記念する「無原罪の聖マリアの祝日」で、盛大に祝われます。カトリック国では学校や会社・商店は休みとなります。

戦争が終わったのは、1945年8月15日。この日は、前述のとおり、「聖母マリアの被昇天の祭日」で、これまたカトリック国では、
国民の祭日として仕事は休み。

そしてサンフランシスコ講和条約が、サンフランシスコで調印されたのは、1951年9月8日。この日は、「聖母マリア」の誕生日に当たります。 
さらに日本で建国記念を祝う2月11日は、「ルルドの聖母の祝日」となっています。

これはたんなる偶然かもしれません。しかし、こんなにもたまたまが重なるのでしょうか。ちなみに、ヴァチカン市国の建国記念日でもある。1929年2月11日に、イタリアのムッソリーニと、ローマ教皇庁代表のガスパリ枢機卿の間で締結されたラテラノ条約によって、ヴァチカンは、国家主権が認められました。その調印式に使われたテーブルは、桜材でできた日本製だったといいます。

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