西宮市長 記者会見後 真実を語る 子供たち若者への愛情と敬意をこめて
2016年12月19日(月)
親愛なる皆さま、西宮市長が真実を語られています。 ぜひ読んでください。
本日、記者会見があったとのことです。 報道と事実がいかに違うかわかります。 またシェアで西宮市長の援軍となって 下さる方、よろしくお願いいたします!!!
先日、西宮市長、今村岳司氏に対する報道のあり方について、 FBの記事で疑問を呈しました。
様々なご意見を頂きましたが、西宮市長を応援するコメントが多かったのは嬉しかった。
私はいろいろな小学校で勤務していました。家庭科や音楽の先生を することが多かったのですが、休み時間や放課後、 そして授業を抜け出して 家庭科室や音楽室に来る子がいました。 担任の言葉に傷ついた、親が許せない、いじめられた なかには、家庭科室の物を勝手にいじったり 音楽室のピアノや楽器を勝手にさわったり 暴れたりする子もいたけれど、 彼らの居場所になれたと思う 居場所づくりは必要。情報過多で集団の中でしんどい子 今の大人にも社会にも 子供たちを癒したり、叱ったり、関心もったりする人が 少なくて、彼らはさみしい
そもそも中高生に話をし本音を聞くような知事、市長なんて あまりいないでしょう。それができる方なんですよ
本気の市長、そして情熱の市長だと思います 叩くのは簡単だけど、今村市長と同じこと誰もできないと思う
西宮市長 今村岳司氏の ブログより転載
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■ Louder Than Hell
騒ぎを大きくしてしまったので、会見しました。 伝えたほぼ全内容。長いですがすみません。
「調子に乗って悪ぶった市長が謝罪」 「市長は意地になって屁理屈で自己正当化」 こういう記事にしたかったのでしょうが、そのどちらもするつもりはありません。
そもそも撤回や謝罪はしません。 撤回や謝罪は、あの場所で真心を込めて話した相手であり、 真剣に耳を向けてくれていた彼ら彼女らを愚弄することになるからです。
そもそも、今回の騒動一連は、傍聴した一人の市議会議員の主観的感想をもとにおこっています。 その発言がなされたイベントの一部始終を体験した当事者である中高生たちの感想ではなく、 当日の情況を知らない人たちが、一人の市議会議員の主観的感想をもとにさまざまな反応をしているのです。 私がここで為したいことは、顛末を説明することです。 そうすれば、この一連が、的外れであったことを知ることになるでしょう。
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あの日、中高生たちと真剣に話したのは「中高生のほしい居場所について」でした。 私は、彼ら彼女らと議論に参加して1時間ばかり直接話を聴きました。 彼ら彼女らが求めた「彼らのほしい居場所」、それは、 「信用して相談できるオトナがいて、はちゃめちゃに弾けておこられない場所」でした。 それは、彼ら彼女らが自分の言葉で語ったキーワードです。
オトナの制止やルールが窮屈なだけではなく、彼らはオトナを完全には信用していないのです。 些細なことを大きくして先生や親に言いつける。 自分たちのことなんて結局わかっていなくて自分たちの考えを押しつける。 キレイゴトを言うくせに、自分だってそれができているわけじゃない。 そういうオトナに彼ら彼女たちは辟易していて、なんとなく信用していないのです。
その話し合いを経て、私が伝えなければならないと考えたメッセージは、2つ。 ・なぜその窮屈なルールがあるのかを考えて、そのルールと自分のやりたいことの折り合いがつけられる場所を探そうとすべきだ。 ・オトナたちはどうせ嘘つきで信用できないと思っているだろうけれど、そのオトナたちもみんなコドモだったのだ。 彼ら彼女らは、私がオトナなのにもかかわらず、私を信用して話をしてくれたのです。 だから。こちらもハラを割ってキレイゴトじゃない話をしないと彼らへの敬意を欠いていることになります。
だからくだんの話をしました。 学校で授業を抜け出してタバコや麻雀や楽器の練習をする部屋があった、ということ。 でも、先生をはじめとするオトナたちとは阿吽の呼吸で折り合いをつけていたよ、ということ。 居場所はオトナが与えるものじゃなくて自分たちが造るものだよ、ということ。 ちなみに、あの場をコーディネートしてくれていたNPOの若者の中には、自信が昔は鑑別所に入ったこともあるけど、 いまは更正して若者の居場所づくりをつくる活動をしているという好青年もいました。
/格技場の上階に普段は使っていない部屋があったのです。 /私たちは鍵を盗みだし、合鍵を造りました。 /それで私たちは自由にタバコが吸えて楽器が弾けました。
面白可笑しく「調子乗りの市長が中高生相手に不良武勇伝」と書かれたのは、こういう話です。
中高生たちは、オトナの定めたラインのギリギリにイキって挑戦することで、失敗し成長するのです。 そもそも中高生の喫煙は、いまや昔と比べると深刻な問題ではなくなっています。 いまの中高生たちにとって、喫煙は決してかっこいいものではないからです。 "武勇伝"にすらなり得ないのです。
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あの場所では話さなかったけど、その後日談。
高3の正月休み、誰もこの「タコ部屋」を掃除せずに休みに入りました。 正月休み明けでこの部屋に来てびっくり。 キレイに掃除されていて、部屋のまんなかに紙コップがぽつんと置いてあり、 その紙コップに吸い殻が山積みにされていました。 <おまえたちさあ、わかってると思うけど、オレたち気付いているからな> という、先生からのユーモアに富んだメッセージでした。 たぶん、「教室で吸ったりよその店で吸ったりするくらいなら…」と苦笑いで黙認してくれていたんでしょう。
そして、私は直後に停学になります。 教室で「今村、タバコ出せよ」と先生に言われ。とぼけたものの、「まあいいから出せよ」と笑われ。 職員室で「どうせセンター試験前だから学校休んで家で勉強しろ」と笑いながら言われて停学を食らいました。 停学あけ、担任+学年主任+教頭の三人の前でカタチばかりの反省文を読まされたあとで学年主任は言いました。 「おまえさ、タバコ、やめれる?」 「で、できるだけ早いうちに」 「そのほうがええな。オレみたいに歳いって吸ってるとカラダに悪い」 そして、学年主任は、私から取り上げたタバコとライターを返してくれました。 「まずは、ちょっと減らせ」 そのあと、順次タバコ組は一回ずつ停学になりました。 中1から6年間面倒見てくれたそのヘビースモーカーな学年主任も、もう亡くなりました。
学校が体面を保ちたいだけなら、今村たちがタバコを吸っていると噂を聞いただけで荷物検査して退学にすればいいのです。 「未成年者の喫煙は違法だ」といえば言いでしょう。 でも、それではメッセージは伝わりません。 中高生なら「オトナが体面を保ちたいがためにやったこと」と理解されるだけでしょう。 中高生に「タバコは吸ったらあかん」というメッセージをちゃんと伝えるためには、 これくらいのことをするのです。
私は塾講師として6年間、受験というギリギリのチャレンジをする子供たちに真剣に向かい合い、 20代で議員になってからは大学生たちと接する全国組織のNPOを10年やってきました。 私は何千人という子供たち若者たちに、敬意と愛情を持って接してきた誇りも、それで学んだ技術についての自信もあります。
中高生にメッセージをきちんと伝えきる、それがどれほど技術と愛情と敬意がいるものか。 私は、附属住吉小学校と甲陽学院の先生たちからそれを学びました。 彼らは愛情と敬意に溢れていて、そして、クソガキにメッセージするユーモアの技術も豊かでした。 なにやら、テレビの取材が甲陽の先生にもいったそうで、申し訳ないことしたなぁと思います。 「いまむら、かわらんなぁ…」と先生たちも苦笑いでしょう。
正面から不用意に工夫なく出されたメッセージは、彼らには通用しません。 中高生をナメちゃだめです。あの年頃はオトナのウソに超敏感です。 こんなこと、中高生を学校で相手にした先生たちにはアタリマエのことです。 まずメッセージを伝えるためには、彼らに信用してもらえるオトナであることが相手に伝わらなければいけないのです。 だから子供たちに対峙する人たちは、敬意を持って「先生」と呼ばれるのです。
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議会について。 「ブログで批判した議員を揶揄した」的な意見については、そのつもりは全くないと応えたいです。 なので、ブログの表現のうち、特に不適切だと指摘された部分については修正します。 不用意な発言ととられて気分を害されたとしたら謝罪したいと思います。
あの日、正直に言うとメッセージを伝える前に(議員がいるなぁ…)とは思いました。 しかし、主役は中高生たちです。 市議会議員がいるからといって、メッセージを曲げたり緩めたりするのは敬意を欠いていると思い、無視してメッセージを発しました。 本気で、そしてユーモアをもって。 私のメッセージは、われわれオトナを信用してメッセージを発してくれた中高生たちにたいして敬意を持って発せられるべきものであり、 オブザーブしている市議会議員に対してではないです。 メッセージの対象者ではなかったわけですから、市議会議員には響かなかったのかもしれませんが、それはしかたありません。 肝腎の参加した中高生がどう思ったか、敬意を損なわれたと感じたか、それは、子供のアンケートを見ていただければわかっていただけるはずです。 彼らが「品のない話をきかされた」とか「市長たる者がそのような悪事をしていたなど腹立たしい」と言っていたとすれば、私は謝罪し、発言を取り消すべきです。 彼らは誰一人としてそういう感想を持っていません。 彼らの感想を「子供の感想」として無視するのは、彼らに対する敬意のない、大人として恥ずべき態度です。 私があの話をしたのは、あの場で彼らと話をして、彼らがこのメッセージを受け取るに足るセンスと能力を持っている、と判断したからです。 あの日の彼らの中に、私の話を聴いて「なんだあ、タバコ吸ってもいいんだあ」と思うような子はいないと断言できます。 私の彼らに対する敬意と信頼によるものです。 けっして一般論ではありません。
だいじなのは子供や若者への愛情と敬意。 それを、ユーモアの範疇を超えてこれ以上掻き回すのは無粋だと、残念に思います。 心を込めて本気で伝えたメッセージが、こんなふうに政治の話にされてしまって、 あの日、真剣に議論してくれた中高生たちに申し訳ないなと思っています。
いっぽうで、私はむしろ、もしかしたらツルシにしてやろうと思ってか用意したこの場で、 「西宮市は子供に本気で向き合うまちづくりをしている」ということをあらためて発信できたことをありがたいとすら思っています。 ただ、そのビデオを使って「市長が開き直り」という番組はじゅうぶん作れるでしょう? それはご自由に。報道の自由万歳。 あのイベントを通じて中高生たちに伝えたメッセージの一部を切り取って「市長が調子に乗って中高生に不良自慢をした」と表現することが可能なように、 西宮が本気で子供施策をやっているというメッセージの一部を切り取って「市長が記者会見で開き直り」と表現することは可能でしょうね。 ただ、あのイベントに参加してくれて西宮市役所からの本気のメッセージを受け取った中高生たちが、その報道を見てどう思うか、よく考えてください。 あんまり彼らの感覚をなめないほうがいいです。
西宮市は子育て世帯ではなく子供を中心としたまちづくりをします、と言っています。 楽をしたい親や体面を保ちたい教師のためのまちづくりではなく、 それと抵触してでも子供に敬意を持った、真剣に育ちを考えるまちづくりをします、ということです。 あの場にいた中高生たち、この哲学の下に仕事をする休日出勤した職員、共感して手伝ってくれたNPO法人カタリバの若者たち、 彼らを裏切られないので、私はあの場での発言については謝罪も撤回もすることはできません。
最後に。 改めて、この場を借りて、あの雨の日に参加してくれて、私たちを信用してメッセージを発信してくれた中高生たちに心から感謝の意を伝えたいと思いますし、 「だいじょうぶだ、あなたたちに伝えたいメッセージは変わらないよ」ということを伝えさせていただきたいと思います。
それと。 タバコはハタチから。 的外れな報道を見て、全国から「高校生でタバコ吸った過去くらいいいじゃん!」みたいな激励が殺到して、こっちは戸惑っています。 高校生のタバコはいけません。ただ、それをどう伝えるかの話。 |