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君が代伴奏拒否訴訟 処分取り消しの判決 キリスト教の信仰への考慮の判決は疑問

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君が代伴奏拒否訴訟 処分取り消しの判決 キリスト教の信仰への考慮の判決は疑問
カトリックのクリスチャンで、過去に音楽の教員をしていたものと
して言わせてもらうと、

この君が代拒否の教諭の主張についても疑問。

東京地方裁判所の裁判長の判断、判決も、疑問に思う。

君が代を拒否するキリスト教の信仰への考慮など
間違いも甚だしい。


キリスト教の信仰を考慮するとあるが
この元教諭は、日本聖公会の信徒であるそうだ。

聖公会が 君が代拒否するのは勝手だが、

キリスト教と 一括りにするのはやめてほしい


聖公会は、16世紀にヘンリー8世の離婚問題で
カトリックが離婚を認めないため、カトリックから独立してできた
宗派で、別名は英国国教会であるが、もともとカトリックから派生した
信仰であるので、典礼などはよく似ている



「今は感謝。一人ではやってこられなかったことです」と、日本聖公会清瀬聖母教会(東京都清瀬市)の信徒である岸田さんは、この判決を受けての気持ちを本紙に語った。
 この判決を直接傍聴したという同教会の井口諭司祭は、本紙に電話で、「信仰的にとても真面目な岸田さんが『君が代』伴奏の強制に屈しなかったことは、牧師としてうれしい」と語った。


日本聖公会が、反天皇なのか、反君が代なのかは他宗教なので
知らないが、

「キリスト教」と一括りにしたり「クリスチャン」と報道される
ことで、

カトリッククリスチャンの私には 大迷惑な話。

カトリックの信仰を持つ音楽教員までが、同じように
君が代を拒否し、それが正しい信仰心だと思っているように
とらえられるのは侮辱であるし、

のちに、カトリックのクリスチャンの音楽教員への偏見を生む。

「聖公会の信仰に基づく行動」と、正しい判決文を出すべきであり
この裁判長は、一信徒や一司祭の偏向した意見を鵜呑みにしてそれが
キリスト教の信仰だと勘違いするのであれば

他のキリスト教、カトリックに対し、失礼である。

たとえば、新興宗教の 「キリストの幕屋」という宗教団体があるが
この団体は、天皇陛下を敬い、君が代・国旗をとても大切にする信仰で
ある。 他にもブメテスタントの中にも、天皇陛下や国旗・君が代を
否定などしない宗派もあるはず。

十把一絡げにした 判決文は、おかしい。

またキリスト教に限らず、仏教、神道であれ、
個人がどんな思想信条、宗教、信仰を持つのもそれはもちろん自由だが

教育公務員として、文部科学省のもとでの学校で仕事をするにあたって

個人の自由よりも、仕事の責任と義務が大切だと思う。

教育公務員として、校長の指示に従い、文科省の指導要領にそって
公平中立な立場で、児童、生徒を指導するのが仕事のプロであり
そこに個人の嗜好や思想信条、信仰を表ざたにすべきではない。

信仰と関係なく、日教組イデオロギーで君が代を伴奏しない
音楽教員がいる。
「君が代」は小中の音楽教科書の最終頁に掲載されているが
ひどい音楽教員になるとそのページにプリントを貼って
子供たちが見れないようにするという 頭のおかしい指導をするのが
存在する。

この裁判の教員は、信仰を理由にしているが
本当に信仰が理由なのかは、疑問である。


私は、クリスチャンでありながら公立学校で、音楽の教員をしていたが、子供たちにきちんと君が代を授業で教えていたし
卒業式にピアノで国歌の伴奏を指示されたら、光栄で誇りに思う

君が代の伴奏が嫌なら 教育公務員、音楽教員をやめればいい。


君が代は雅楽師の奥好義・林廣守作曲であるが
林廣守も西洋音楽を学び
ドイツ人作曲家フランツ・エッケルトが伴奏・和声をつけたもの
もともと明治時代にできた唱歌や音楽は、西洋音楽、
カトリック、キリスト教の音楽の影響を多大に受けており

君が代のメロディーは、カトリックのミサの

復活の続唱のメロディーと 相似
http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/802/

美しいラテン語の 最初の部分
♪VIctimae pascha-li laudes~~♪

レドーレーファーソーファーミーレ♪

このような美しいメロディーを伴奏することに何の躊躇があるのか



バチカン、教皇様はかつて天皇陛下に語っています。

「カトリックは確立した国体・政体の変更を許さない。世界の平和維持・秩序保持のため過激思想に対し奮闘しつつある最大の有力団体」
である。


国体・政体を破壊する過激な運動、革命のような
世界の平和維持・秩序保持のためにならない過激思想に対し
奮闘するのがカトリックだと

カトリックの小中高は、国旗・君が代斉唱を実施していました。

「日本カトリック正義と平和協議会」という団体が
個人的偏向思想で反対している部分はあるものの

バチカン、聖書に 君が代に反対しろ、伴奏するななどという
指示はありません。


カトリック教会のカテキズム
は社会に対する個人の「責任と参加」について次のように言明する。

「社会への参加
社会的交換において個人(人格)が意識的に熱意をもって関わることを意味する。すべての人がそれぞれの置かれた立場や携わる役割に応じて共通善を実現するために参加することが必要だからである。この義務は人間人格の尊厳に根ざしている」


特に国家に対する国民の義務について、カテキズムは

「権威に服する者たちは、神がその賜物の役務者として立てた自分たちの上長を、神の代理者と見なさなければならない(ローマ13,1-2参照)。“主のために、すべて人間の立てた制度に従いなさい。…自由な人として生活しなさい。その自由を盾として悪を行うことなく、神のしもべとして生活しなさい”(1ペトロ2,13;16)。彼らの寛大な協働は、人格の尊厳と共同体の善に有害と思われることに対して忠告を行う権利、時として義務を含む」(n.2238)

「国民の義務は、社会の善のために真理と正義、連帯と自由の精神をもって国家権力と協力することにある。祖国への愛と奉仕は感謝の義務と愛の要求に基づく。正当な権威への服従と共通善への奉仕は、国民に政治共同体の生活における彼らの役割を果たすよう要求する」(n.2239)

「権威への服従と共通善への共同責任性は、納税、選挙権の行使、国の防衛を倫理的義務として国民に要求する」




カトリックの場合は、信徒が教員の場合、

 君が代伴奏を拒否することなど

信徒としてしてはいけないことである。



君が代伴奏拒否訴訟 処分取り消しの判決
10月8日 20時33分
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151008/k10010263681000.html

君が代伴奏拒否訴訟 処分取り消しの判決
小学校の卒業式で君が代のピアノ伴奏を拒否して東京都教育委員会から減給処分を受けた元教諭が取り消しを求めた裁判で、東京地方裁判所は、「減給は重すぎて妥当性を欠く」として処分を取り消す判決を言い渡しました。
裁判を起こした岸田靜枝元教諭(65)は、平成22年に、東京・豊島区の区立小学校の卒業式で君が代のピアノ伴奏をするよう命じられましたが、拒否した結果、東京都教育委員会から減給1か月の処分を受け、取り消しを求めていました。
8日の判決で東京地方裁判所の清水響裁判長は、「教職員に直接の不利益が及ぶ減給処分は学校の規律や秩序の維持との釣り合いという観点から、妥当性を具体的に検討する必要がある」と指摘しました。
そのうえで、「これまでに懲戒処分を4回受けているが、いずれも君が代にかかわるもので、伴奏の拒否がキリスト教の信仰に基づく行動であることなどを考慮すると、減給は重すぎて妥当性を欠く」として処分を取り消す判決を言い渡しました。
君が代を巡る裁判では、平成24年に最高裁判所が「減給以上の重い処分は慎重な考慮が必要だ」という判断を示しています。
岸田さんは「減給処分はだめだと裁判所が判断したことは、とても大きなことで、次につながる判決だと思います」と話していました。
東京都教育委員会の中井敬三教育長は、「今回の判決は誠に遺憾で、今後、内容を確認し、訴訟対応をとっていく」というコメントを出しました。

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