6月18日 教皇フランシスコは、回勅「ラウダート・シ」を発表されました。 回勅「ラウダート・シ」の発表や要旨については バチカン放送局に記されています。 http://ja.radiovaticana.va/ これは、2013年6月に発表された「ルーメン・フィディ(邦題:信仰の光)」に次いで、教皇フランシスコの第2番目の回勅となる 。 このたびの回勅の表題、「ラウダート・シ」は、アッシジの聖フランシスコの「太陽の賛歌」の中の言葉「ラウダート・シ、ミ・シニョーレ」(「わたしの主よ、あなたは称えられますように」の意)から取られている。聖フランシスコはこの賛歌の中で、太陽や月、星、風、水、大地など、神が創られたすべてのものを通して、神を賛美している。 教皇はこの回勅を通して、わたしたちの家である地球が上げている叫びに耳を傾け、皆の共通の家を保全し、責任をもってその美しさを守るために「方向性を変えていく」よう、「環境的回心」を呼びかけている。 序章「わたしの主よ、あなたは称えられますように」 1章「わたしたちの家で起こっていること」 2章「創造の福音」 3章「環境危機の人間的原因」 4章「統合的エコロジー」 5章「いくつかの方向性と行動」 6章「環境的教育と霊性」 環境問題に関心を持ち、重視するための回勅ですが 非常に興味深いのは、原子力利用、原発についての具体的 言及がないことです。 日本のカトリックの司教団は、反原発、 原子力エネルギーへの批判、攻撃を繰り返してきました。 日本カトリック司教団は2011年11月8日に“いますぐ原発の廃止を”というメッセージを発表し、その後も全教会をまきこんで 反原発キャンペーンをくり返してきました。 http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/doc/cbcj/111108.htm 原子力の平和利用に対しても反発し、 名古屋司教に今回なられた元大阪大司教区松浦悟郎補佐司教も 2011年にこう語っています 「我々が直面している問題、つまり原子力発電所の増設の問題は重要です。私が昨年まで長をしていた日本カトリック司教協議会(Catholic Bishop's Conference of Japan)の正義と平和協議会とともに、私たちは日本や世界での原発増設の動きと戦う意識を盛り上げてきました。」 この日本のカトリックの司教団は、反原発のメッセージも 発表しましたが、 今年の2月には、日本カトリック司教団、 戦後70年メッセージ 「平和を実現する人 武力によらない平和を」 という事も発表しています しかし、 ①今回のメッセージを出した司教協議会(司教団)というものは 日本カトリックの上部組織でも、総本山でもない ②それぞれの教区は独立しており、教区司教は司教協議会(司教団)から命令を受けることはない ③司教協議会(司教団)メッセージは 「教え」ではない ④司教協議会(司教団)メッセージは、信徒ひとり一人の行動や判断を拘束する性質のものではない ■教会が共産主義を受け入れることはありません ■共産主義と相容れない(拒絶する)のは変わりませんが、対立は避けたいと聖座(バチカン)は考えています ■いかなるものでも宗教と共産主義は相容れるところはありません ■教導職は個人の内心の自由には介入しません ですから、カトリック信徒も、そうでない人も カトリックの司教団はこう考えているというひとつの メッセージではありますが カトリック信徒、バチカンの総意ではなく あくまでも、司教団独自の見解であり、信徒は従う必要は ありません 反原発も カトリック信徒は従う必要もなく バチカンと 司教団の見解は違うということを知ってほしいと 思います 2015年3月には、毎日新聞が、ローマ教皇は 原発をバベルの塔と反対したと毎日新聞が虚報を報じ、 これが、あたかも本当のことのように拡散されていました。 毎日新聞の罪は大きいと思います。 私は、この時、下記のように警鐘を鳴らしていました。 ローマ教皇が反原発かのような 原発に関する発言、毎日新聞の報道は、間違い 虚報 http://blog.zaq.ne.jp/otsuru/article/3588/ 日本の司教団とフランシスコ教皇様の会見では 宣教活動と「隠れキリシタン」は 日本のカトリック教会史の二つの支柱、宝であると そしてこれは現代の教会生活を支え、信仰を生きるための指標である ということが述べられたと、海外の各メディアが報じました。 毎日新聞の記事では、重要な部分は「バチカンが会見の詳細を発表していない」と、毎日新聞には会見の詳細は知らされなかったのであり 毎日新聞の記者は、あくまでも司教団の意見を聞いたのであり、教皇様の言葉を直接、取材できなかったのに勝手な記事を書いているのです その時に 参加した他の司教さまの日記にも バチカンの放送局のニュースにも、 海外の、日本の司教団と教皇様の会見を伝えるニュースにも 原発についての、ましてや バベルの塔などと言ったという教皇様の言葉など どこにもないのです。 バチカン、ローマ教皇庁は これまで原子力エネルギーについて積極的に肯定してきました。 ■2007年の夏、ヴァチカンの公式ラジオ局がレナート・マルチーノ枢機卿(Renato Martino)にインタビューして、 原子力を“クリーン・エネルギー”の1つとして歓迎すべきだと 放送 それによるとマルチーノ枢機卿は、人間と環境に対する最大の安全基準を課し、兵器への利用を禁止すれば、原子力の平和利用に問題はないとして、こう言ったという-- 「何らかの事前原則や事故災害への恐怖から原子力エネルギーの利用を禁止することは、間違いを招来し、ある場合には逆効果を招くかもしれない」 また、教皇ベネディクト16世は、2007年の8月28日に 国際原子力機関(IAEA)の設立50周年記念行事に際し、 「段階的な合意による核兵器廃止」と 「真の開発のための原子力の平和的で確実な利用」を求めたのである。 原子力利用推進のヴァチカンのこの態度は、2010年の秋まで変わっていない。2010年9月27日付のカトリック・ニュース・サービスによると、ヴァチカン特使のエットーレ・バレストレーロ氏(Ettore Balestrero)は、ウィーンで行われたIAEAの総会で発言し、 教皇庁は平和と人間の発展のために、すべての国々が安全で確実に原子力エネルギーを利用するというIAEAの仕事を「引き続き支持する」と述べたという。 その理由は、原子力エネルギーは、各国の必要に則して利用すれば、貧困や病気との戦いを助け、したがって人類が直面する深刻な問題の平和的解決に寄与するからだという これは、放射線防護学の権威、札幌医科大学教授の高田純博士が 国際的な学会でも活躍されておられますが 髙田純教授の世界各地の放射線、原子力、原発事故、福島の原発 東日本大震災による健康被害などの科学的、長年の調査研究の結果 結論として述べておられることと、まったく一致することで 髙田純教授が、つねに言われていることと同じです。 もちろん、高田純教授も、バチカン、教皇庁も教皇も 原子力以外の代替エネルギー、自然エネルギーの研究開発について 拒否しているわけではないです が、今、現在、それらの安全性も確立しているわけではなく 自然破壊もなく、安価で、高効率のエネルギーとして 現在の原子力に勝るものではないことは確かだと思います。 2012年4月のバチカンニュースでは 核エネルギーの平和利用に対する支援をしているバチカンから 日本のカトリック司教団へ反原発活動を諌める指導が入り、 他の宗教団体の反原発の活動に関わるなと言われていることを 示唆しています。これにより司教団は、中立的立場をとらねばならない ことは決定したはずです。 それにも関わらず、反原発を強調する司教団は、 バチカンの指導に反していることとなります。 「反原発の他の宗教団体に参加してはいけない バチカン」 たとえ核兵器が厳しく非難されても、原子力は「経済・社会開発用の基本的権利」最新の原子力発電所から来るエネルギーの存在および使用 それは非常に安全で、教会はそれを保護する ★バチカンインサイダーより 日本の司教協議会は、司祭や修道士が個人的に反原発デモに関わる事には反対しない事を示唆した。しかし司教協議会は、バチカンの指導に従い、原子力発電(?nuclear power prodiction)に関する問題には中立の立場にとどまると語った。聖座は核エネルギーの平和利用に対する用心深い支援を示唆していた。」 この数年にわたって、教皇庁は、より貧しい国々の成長を支援するために核軍縮条約の適用を通じて獲得されたエネルギー源を使用する必要をしばしば繰り返しました。 ~ 2006年の平和の世界日の間のメッセージ中のベネディクト教皇は、「核ミサイルの軍縮に由来したウラニウムおよびプルトニウムを永久に破壊すること それらをエネルギーに変えることによって教会、科学、技術および人間の進行を保持する」と原子炉がただ一つの方法であることを明示し ました。 ~ たとえ核兵器がもちろん厳しく非難されても、原子力は「経済・社会開発用の基本的権利」と考えられます。 要するに、最新の原子力発電所から来るエネルギーの存在および使用(それは非常に安全で、教会によって保護される)は、エネルギー源の点から喜んでそのルートをとる国々に対する実行可能なオプションのままであるべきです。 http://vaticaninsider.lastampa.it/en/world-news/detail/articolo/giappone-japon-chiesa-church-iglesia-14088/ 今回、環境問題に特化した、バチカン、教皇様の回勅、提言で あるにもかかわらず 原子力問題、原発問題に一切触れていないということは 大きなことであると思います。 教皇様は回勅の中では、人間中心主義が 環境、人間の「使い捨て」の論理について強く指摘しています 近代文明の根底には、極端な人間中心主義が横たわっている。 人類は、もはや世界における自分自身の正当な位置を認めず、自己の能力を過信し、自己とその権力にのみ意識を集中している。そこから、もう一つの論理、すなわち「使い捨て」の論理が生まれる。それは、環境であれ人間であれ、あらゆるものの使い捨てを正当化する。他人や自然を単なる物とみなし、無数の支配形態を生み出す。この論理が、子どもたちの搾取、老人遺棄、他人の奴隷化、人身売買、絶滅動物の毛皮や「血まみれのダイヤモンド」の売買をもたらすのである。それは、多くのマフィアや、臓器売買、麻薬取引、胎児の中絶などと同じ論理である。 そして重要な点は、教皇様が この環境問題とともに イデオロギーに ついて語られているところです バチカンが、イデオロギーというときに指すのは 明らかに「共産主義」のイデオロギーのことです。 バチカン、カトリックは 反共産主義を徹底しているからです 共産主義者が、イデオロギーによって 反原発、 原子力の平和利用の反対運動を繰り広げていることへの 懸念ではないでしょうか 教皇フランシスコにとって、具体的な歩みの構築が、イデオロギー的、表面的、矮小主義でないことは当然の条件である。それゆえ、この章の各タイトルが示しているように、対話は不可欠なものとなる。「環境をめぐる問題については様々な議論があり、妥協に至るのは難しいでしょう。教会はそれらの問題に科学的、政治的な定義を強要することはありませんが、一部の必要やイデオロギーが共通の財産を傷つけることがないように、正直で、透明性のある対話に招きます。」 「わたしたちの後に続く人々、また今成長しつつある子供たちのために、わたしたちは一体どのような世界を残していきたいのでしょうか」 この質問こそ、教皇フランシスコの回勅「ラウダート・シ」の中心であるといえます。 |
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■カトリックは原発推進だった ■教皇、環境、回勅ラウダート・シ発表 原発に触れず
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