悪平等を一番感じるのは、公教育、学校、教育現場
子供たちの個性や能力を平均化し、まわりの人と違うことをする事
違う意見を言うこと、リーダーシップを発揮する事を躊躇させる
教育が常態化している。
飛びぬけた才能があっても奇異の目で見られるとか
目立つことをしてはいけない雰囲気、
悪い雰囲気であっても、それを糺そうという行為が
まるで、偽善だとか、いい格好をしていると
今度は、正義感のあるものがはみ出される
まわりが誰かをいじめていても、悪口を言っていても
また道義や道徳に照らして、おかしいことであっても
それが大勢の意見であれば、あわせることが大切という雰囲気
これでは、冒険心、起業精神、正義感のあるリーダーは生まれない
教育の根幹を見直さねばならないと思う
日本に来て失望、
中国よりも社会主義の国だった
行き過ぎた「平等」は社会の活力を失わせる
2015.4.28(火) 柯 隆
日本人は不平等なことに対して相当神経質のようだ。日本では多くの人が、社会は平等でなければならないと思い込んでいる。私は27年前に留学のために来日した当初から、そのことを強く実感している。
中国は社会主義だから平等でなければならないが、日本が平等でなければならない理由はよく分からない。日本では大勢の人が平等であることを追い求めた結果、日本社会は中国よりも社会主義的になってしまった。
このことは筆者が日本社会についてもっとも失望した点だと言える。27年前、筆者はさまざまな苦労を乗り越えてようやく社会主義中国を脱出した。それなのに、たどり着いた日本はなんと中国以上に社会主義の国だった。その落胆がどれほどのものだったか、みなさんに分かっていただけるだろうか。
2期目の安倍政権について筆者が個人的にもっとも良かったと思う点の1つは、安倍総理が就任初期に「報われる社会作り」を提唱したことだった。だがその後、どういうわけか、報われる社会作りは言われなくなった。
「報われる社会」は必ずしも平等な社会にはならないが、公平・公正な社会にはなる。日本の失われた20年をずっと見てきた筆者は、日本社会の病根はまさに不公平、不公正さにあると考えている。例えば大企業の場合、同期入社のサラリーマンの待遇は誰も大差はなく、実に平等である。だが、そのおかげで会社の活力が削がれている。怠け者を優遇しすぎている半面、きちんと結果を出している社員の所得を抑え、しかも多額の税金を徴収しているからである。
今や中国では「格差」が拡大して社会主義の国ではなくなったのに対して、日本はますます社会主義的になっている。
続き、詳細はJBpressへ
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/43619
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日本に来て失望、 中国よりも社会主義の国だった
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